1984年に産声を上げた五輪野球は、2021年に復活の雄たけびを上げる。日本は公開競技だった84年ロサンゼルス・オリンピック(五輪)で金メダルを獲得し、最後の実施となった08年北京五輪まで、のべ152人が祭典の頂点を目指した。世界のダイヤモンドに刻んだ先人の記録から、長い旅路の足跡を追う。

84年、ロサンゼルス五輪で米国を破り金メダルを獲得した日本チーム
84年、ロサンゼルス五輪で米国を破り金メダルを獲得した日本チーム

3大会ぶり復活 4勝3敗でも金ある

WBCで2度、昨年11月のプレミア12。侍ジャパンは00年代に入り3度の世界一を果たしたが、五輪となると84年のロス五輪が最後の栄冠だ。3大会ぶりに復活する野球競技も、24年パリ五輪から再び消滅する。開催国として金メダルを絶対本命視される中で挑む。

出場は過去最少の6カ国。従来は8カ国が予選リーグで2組に分かれるか、1グループ総当たりで戦い、準決勝、決勝へ駒を進める方式だった。だが今回は様変わりする。6チームを3チームずつに分け、総当たりの1次ラウンドを行った後、敗者復活戦を含む変則の決勝トーナメント(ノックアウトステージ)に移行する。試合数は最少5試合で、5連勝なら当然優勝。最多8試合で5勝3敗でも金メダル獲得が可能だ。

現状では4カ国の出場が決まっている。イスラエルは昨年9月の欧州・アフリカ予選で筆頭候補のオランダを撃破。1位通過で日本以外では一番乗りの初出場を決めた。昨季引退したメジャー通算1999安打のキンズラーも代表加入を希望。未知数の力で、五輪本番でもジャイアントキリングの可能性を秘める。

プレミア12決勝で破ったライバル韓国も出場権を得た。長年エースの金広鉉がメジャー挑戦し、五輪出場は難しい。だが世代交代も促進中。金卿文監督は08年北京五輪で金メダルに導き、名将が再現を狙う。兵役免除という最強のモチベーション材料もあり、日本には最大の障壁になる。

メキシコはプレミア12の3位決定戦で大国米国に勝ち、初の五輪切符を手にした。NPB経験者も多く、堅調な力を持つ。新型コロナウイルスの感染拡大で残る2チームは予選が延期となり、不確定。米国、ドミニカ共和国、キューバら実力国がアメリカ大陸予選で1枠を争う。さらに台湾、オランダやアメリカ大陸予選2、3位チームら6カ国が出場する大陸間最終予選で最後の出場国が決定する。【広重竜太郎】

◆金メダル 日本は公開競技の84年ロサンゼルス大会で優勝。その後6大会はキューバが最多の3度優勝し、米国2度、韓国1度。

◆勝率 正式競技となった92年バルセロナ大会以降、日本は26勝19敗(勝率5割7分8厘)で勝率順の4位。勝率は高い順に(1)キューバ8割8分9厘(40勝5敗)(2)米国7割2分2厘(26勝10敗)(3)韓国6割(15勝10敗)。

<五輪野球アラカルト>

五輪の野球は公開競技を含め7度行われた。過去の大会を数字で振り返る。

◆最多勝利 日本選手でただ1人、五輪3大会出場の「ミスターアマ野球」杉浦正則(日本生命)がマークした通算5勝が最多。92年2勝、96年2勝、00年1勝を挙げた。

◆最多登板 杉浦は通算11試合登板も最多。投手の最多先発は松坂の5試合。

◆最多安打 日本の通算最多安打は松中信彦の24本(96年11本、00年13本)。次いで谷佳知22本、福留孝介21本、中村紀洋、宮本慎也が各19本。

◆最多本塁打 松中の6本。新日鉄君津時代に出た96年アトランタ大会では、予選の米国戦から決勝のキューバ戦まで6戦5発。谷と福留は各5本放っている。日本の1試合最多はアトランタ大会準決勝(対米国)で大久保、今岡、高林、松中、井口が放った5本。

◆10代選手 日本の最年少出場は19歳で、84年荒井幸雄(日本石油)88年潮崎哲也(松下電器)96年小野仁(日本石油)福留孝介(日本生命)00年杉内俊哉(三菱重工長崎)08年田中将大(楽天)の6人いる。荒井は最年少の4番打者。高卒1年目は福留だけ。00年松坂大輔(西武)は誕生日の関係で五輪直前に20歳になったが、田中と同じプロ2年目で出場している。

◆高齢 日本の投手は08年岩瀬仁紀(中日)の33歳。野手では08年矢野輝弘(現燿大=阪神)が39歳で出場している。

◆プロとアマで出場 阿部慎之助(中大、巨人)松中信彦(新日鉄君津、ダイエー)谷佳知(三菱自動車岡崎、オリックス)福留孝介(日本生命、中日)杉内俊哉(三菱重工長崎、ソフトバンク)の5人。

◆監督経験者 五輪出場後、プロ野球の監督になったのは古田敦也、野村謙二郎、和田豊、高橋由伸、井口忠仁(現資仁)、矢野輝弘(現燿大)の6人。小久保裕紀と稲葉篤紀は侍ジャパン監督になった。

■84年ロサンゼルス金 広沢V打で初代王者

84年8月、ロサンゼルス五輪公開競技の野球で金メダルを獲得し空港で笑顔を見せる全日本チーム。左から和田豊、上田和明、広沢克実、秦真司ら
84年8月、ロサンゼルス五輪公開競技の野球で金メダルを獲得し空港で笑顔を見せる全日本チーム。左から和田豊、上田和明、広沢克実、秦真司ら

◆84年VTR(公開競技) 国際オリンピック委員会が野球を6チームから8チームに増やすよう要請。カナダと日本の出場が決まった。台湾との準決勝では延長10回に荒井(日本石油)のサヨナラ打で勝利。米国との決勝では広沢(明大)が4回に逆転打、8回に3ランを放ち優勝。

■88年ソウル銀 野茂、古田ら黄金世代擁す

88年9月、ソウル五輪野球準決勝 日本対韓国 3番手として登場した野茂英雄(左)は韓国打線を抑え、笑顔でチームメートと握手をかわす。右は捕手の古田敦也
88年9月、ソウル五輪野球準決勝 日本対韓国 3番手として登場した野茂英雄(左)は韓国打線を抑え、笑顔でチームメートと握手をかわす。右は捕手の古田敦也

◆88年VTR(公開競技) その後プロで活躍する野茂(新日鉄堺)潮崎(松下電器)古田(トヨタ自動車)らが主力。準決勝で地元韓国と対戦。8回に古田の犠飛で勝ち越し、3-1の勝利。米国との決勝では生まれつき右手の手首から先がないハンディを負うアボット投手を打ち崩せず、3-5で敗れ連覇ならず。

■92年バルセロナ銅 3決で米国下し面目保つ

92年8月、バルセロナ五輪野球 日本対台湾 若林の本塁打を出迎える小久保裕紀(左)ら全日本ナイン
92年8月、バルセロナ五輪野球 日本対台湾 若林の本塁打を出迎える小久保裕紀(左)ら全日本ナイン

◆92年VTR この大会から正式競技。1次リーグで完封負けを喫した台湾と準決勝で対戦。小桧山(日本石油)杉浦(日本生命)の両投手が3本塁打を浴び5失点。打線も予選に続いて対戦した郭李建夫(93年阪神入り)に抑えられ、2-5で決勝進出を逃す。3位決定戦では米国に8-3で勝ち銅メダル。

■96年アトランタ銀 松中満弾もキューバに苦杯

96年8月、アトランタ五輪決勝 日本対キューバ 満塁本塁打の松中信彦(手前・3番)をベンチ前で迎える福留孝介(左から3人目)や今岡誠(同5人目)。右端は小野仁
96年8月、アトランタ五輪決勝 日本対キューバ 満塁本塁打の松中信彦(手前・3番)をベンチ前で迎える福留孝介(左から3人目)や今岡誠(同5人目)。右端は小野仁

◆96年VTR 1次リーグを4勝3敗で辛くも突破。米国との準決勝は松中(新日鉄君津)今岡(東洋大)井口(青学大)らの5本塁打で11-2と圧勝。キューバとの決勝は両軍合計11本塁打の打撃戦。松中の満塁本塁打で6点差を追いつくも、投手陣がリナレスの3発など8本塁打を浴び9-13で敗戦。

■00年シドニー4位 初プロ参加もメダル逃す

00年9月、シドニー五輪3位決定戦 韓国対日本 ガッツポーズをする具台晟(ク・デソン 下)をぼう然と見つめる日本ナイン。左から黒木知宏、松坂大輔、沖原佳典、中村紀洋、田口壮
00年9月、シドニー五輪3位決定戦 韓国対日本 ガッツポーズをする具台晟(ク・デソン 下)をぼう然と見つめる日本ナイン。左から黒木知宏、松坂大輔、沖原佳典、中村紀洋、田口壮

◆00年VTR プロから松坂(西武)黒木(ロッテ)松中(ダイエー)中村(近鉄)ら8選手が参加し、初めてのプロアマ合同チーム。準決勝のキューバ戦はコントレラスを打てず、0-3の完封負け。韓国との3位決定戦は具台晟と松坂の投げ合いとなったが、1-3で敗れ初のメダルなしに終わる。

■04年アテネ銅 オールプロでも金ならず

04年8月、アテネ五輪で3位に終わり、涙を流す高橋由伸(右)と宮本慎也
04年8月、アテネ五輪で3位に終わり、涙を流す高橋由伸(右)と宮本慎也

◆04年VTR 長嶋監督が病気で倒れ、中畑ヘッドコーチが指揮。上原(巨人)松坂(西武)ら全員プロで固め、準決勝のオーストラリア戦は松坂が8回途中まで13奪三振、1失点の力投を見せるも打線が沈黙。オクスプリング、ウィリアムスに抑えられ0-1で敗戦。3位決定戦はカナダを11-2で下し銅メダルを獲得。

■08年北京4位 最強布陣のはずがまさか

08年8月、北京五輪3位決定戦で米国に敗れ、足早にベンチ裏に引き揚げる星野仙一監督(右)。ベンチ内左から川崎宗則、矢野輝弘、西岡剛
08年8月、北京五輪3位決定戦で米国に敗れ、足早にベンチ裏に引き揚げる星野仙一監督(右)。ベンチ内左から川崎宗則、矢野輝弘、西岡剛

◆08年VTR ダルビッシュ(日本ハム)上原(巨人)杉内(ソフトバンク)らが参加。1次リーグはキューバ、韓国、米国に敗れ、4勝3敗の4位。準決勝の韓国戦は2-2の同点で迎えた8回に岩瀬(中日)が李承■に勝ち越し2ランを許し、2-6で敗退。3位決定戦も米国に4-8で完敗した。

※■は火ヘンに華