11日で、東日本大震災から10年を迎える。元なでしこジャパンで、タレントの丸山桂里奈(37)は05~09年にかけて、東京電力福島第1原発の立地町の福島県双葉町や大熊町を拠点とした東京電力マリーゼに所属していた。“復興五輪”とも位置づけられる東京五輪を前に、元東京電力の社員として、元オリンピアンとしての思いを聞いた。

本紙のコピーを手に、なでしこ代表時代を語る丸山桂里奈(撮影・酒井清司)
本紙のコピーを手に、なでしこ代表時代を語る丸山桂里奈(撮影・酒井清司)

震災と原発事故から10年。Jヴィレッジは復旧したが、周囲の町の復興はまだ先が見えない。それを伝えたいと思っている。明るいキャラクターで知られる丸山だが、震災の話題になると、真剣なまなざしで語り始めた。

「10年で、自分はサッカーをやめてタレントの仕事に変わった。双葉町、大熊町は10年で元気になったかといえば、全然そうじゃない。本当に複雑です。テレビはものすごく反響が大きいので、自分の経験したことや思っていることを発信していきたいです」

日体大を卒業した05年、新設された東京電力マリーゼに、立ち上げメンバーとして加入し、福島県双葉町に移り住んだ。

「新しくチームができるということでお話をいただいて。新たな挑戦という気持ちで行きました。午前9時から12時まで働いて、チームのバスでJヴィレッジに行って午後2時から4時まで練習。そこから双葉町のチーム寮にバスで帰る生活。サッカーに集中できて振り返ってもマリーゼの環境は一番良かったです」

東電では、正社員として雇用され、名刺の肩書は「所長付」。事務仕事の他、イベントなどで原子力について話す仕事をした。

「職場の人もみんな優しくて、そういう経験ってその後することがなかったから、すごく濃い時間でした」

地域密着のチームで、自身も土地への愛は深い。第2の故郷の事故前の風景は、胸にしまってある。少し遠くを見つめながら振り返った。

「(県沿岸地域の)浜通りって海がキレイなので。いわきの方にも行ったし、相馬だったり、浪江だったり。結構海を見に行くことが多かったかな」

東京電力の制服を着る丸山(本人提供)
東京電力の制服を着る丸山(本人提供)

09年に米国挑戦のため、福島県を離れた。移籍前に東京に帰っていたことなどから最後にサポーターへのあいさつがかなわなかったことが一番の心残りだ。米国から帰国し、千葉レディースに加入した半年後、震災が起きた。当日は東京の実家におり、練習に向かう前だった。千葉も液状化などの被害を受けて練習もできず、サッカーを続けていいのか葛藤したという。

「ただ『丸ちゃんのプレーしている姿が好きだよ』って東京電力の人も言ってくれたりしたので、とにかくW杯のメンバーに選ばれたいっていう一心で、走り込みしたりとか。そういう毎日でしたね」

東電勤務当時の上司だった故吉田昌郎さんが、第1原発の所長として事故対応にあたる姿を、テレビのニュースで何度も見た。

「私がいた当時は(所長に次ぐ)ユニット所長だったかな。いつも優しくて。サッカーで勝てなかったときに『会社でいろいろ言われても気にするなよ、なんかあったら言ってこいよ』っていう人だったので。あそこまで追い込まれている吉田さんを見たことがなかった」

震災後、吉田さんには気を使って連絡しなかったという。吉田さんは13年7月、食道がんで亡くなった。直接伝えたかったW杯優勝の報告はできていない。

「いずれいろんなことが収まったときに会おうかなって思ったんですけど、そのときには吉田さんも病気が進んでいて。おうちにも行ったことがあったり、結構かわいがってもらいました。最後に会いたかったな」

東京電力マリーゼ時代の丸山と上司の故吉田昌郎さん(本人提供)
東京電力マリーゼ時代の丸山と上司の故吉田昌郎さん(本人提供)

09年のマリーゼ退団後も、福島とのつながりは絶っていなかった。双葉町のチーム寮を出て、大熊町で1人暮らしをしていたアパートを、米国移籍時にチームメートに貸し、私物もそのままだった。事故後、丸山のアパートも含め、大熊町は全域が警戒区域(現在も多くは帰還困難区域)に指定された。

「首都直下型地震が来ると思って大事な物を全部(アパートに)置きっぱなしだったのでどうなるんだろうって。時期を見ながら一時帰宅をして、ちょっとずつ持ち帰りました」

最初の一時帰宅は12年3月。町の許可証をもらい、防護服を着て帰宅。8年間で計5回の一時帰宅を繰り返した。最後は昨年6月に(昨年9月に結婚した)本並健治さんと訪れた。結婚発表前に立ち入りの申請書に「本並健治」と記名することに迷いもあったが、アパートが取り壊されてしまうため、最後となる一時帰宅だから2人で向かった。

「復興といっても実際行ってみたら、ほぼほぼ変わっていない。『この街、生き返るのかな』って。周りに人がいないから怖い感じがある。月日がたったら、だいたいのものは元に戻るじゃないですか。それが何にも戻っていない。行って、見た人じゃないと、分からないと思う。胸がはち切れそうになります」

20年、本並健治氏(左)とウエディングドレス姿の丸山
20年、本並健治氏(左)とウエディングドレス姿の丸山

震災で、生きていく価値観が変わった。

「それまでは、自分のために頑張っていたことが多かったし、誰かのために頑張るというのはなかなかなかった。誰かのためってなると、今まで自分が持っていたもの以上のものが出ると思った」

実際に「東北の人のために頑張ろう」という思いが11年W杯優勝につながったという。丸山はW杯の準々決勝で、前回王者ドイツを相手に劇的な決勝ゴールを決めた。タレントとして活動する現在も、その思いは持ち続けている。

11年、W杯を制し世界の頂点に立った日本代表イレブン(撮影・PIKO)
11年、W杯を制し世界の頂点に立った日本代表イレブン(撮影・PIKO)

マリーゼ時代の練習場で、代表でも合宿を張ったJヴィレッジは、極めて過酷な事故対応の前線基地となった。グラウンドの天然芝には砂利が敷かれ、プレハブが建てられるなど、サッカー関係者にはショッキングな光景が広がった。その後、16年10月から復旧が進められ、19年4月に全面再開。丸山は復活したJヴィレッジで子どもたちのサッカー教室を開きたいと思っている。

「(Jヴィレッジだけでなく、福島県内の)それぞれの町でサッカーをしたり、話を聞いたりしたいとも思っています」

“復興五輪”を掲げた東京五輪・パラリンピックはコロナ禍で延期となり、震災から10年の今年、開催される。聖火リレーは縁深いJヴィレッジから、自身の誕生日の前日である3月25日にスタートする。最後の最後に表情を少しだけ和らげて意気込みを明かした。

「ほぼ誕生日みたいなもの。もし走れるのであれば、Jヴィレッジからっていうのも、福島からっていうのも含めて自分が走る使命があるって思って走りたい。青春時代を過ごさせてもらった感謝を持ちながら、走らせていただきたい」【佐藤成】

東京電力マリーゼ時代の丸山(本人提供)
東京電力マリーゼ時代の丸山(本人提供)

◆丸山桂里奈(まるやま・かりな)1983年(昭58)、東京都生まれ。小6でサッカーを始め、日体大在学中に女子日本代表に初選出。05年東京電力マリーゼに入団。同年になでしこリーグ新人王を獲得。米国挑戦後、千葉、高槻を渡り歩き16年限りで現役を引退。FIFA女子W杯には2度出場し、11年大会の優勝に貢献。アテネ、北京、ロンドン五輪にも出場。現在はタレントとして活躍中。163センチ。血液型O。

◆東京電力マリーゼ 04年に前身のYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズから東京電力へ移管されることが発表。05年からJヴィレッジを拠点に活動し、初年度はディビジョン1で4位の成績を残した。06年にディビジョン2に降格するも、1年でディビジョン1に復帰。東日本大震災による原発事故の影響で、11年4月に東京電力が活動一時中止を発表。活動自粛した。同9月28日に「休部」が正式に発表され、事実上のチーム解散となった。

Jヴィレッジ誕生から現在

▼94年8月 東京電力が福島県に構想を提案

▼95年 福島県が受け入れを表明。楢葉町と広野町にまたがる場所に建設地が決定して着工

▼97年7月29日 国内初となるサッカーのナショナルトレーニングセンターとして開業。約50ヘクタールの敷地内に12面のグラウンド、屋根付き練習場、宿泊施設など。元イングランド代表ボビー・チャールトン氏が命名。東電が福島県に寄贈

▼02年5月 サッカーW杯日韓大会でアルゼンチン代表がキャンプ

02年5月、アルゼンチン代表
02年5月、アルゼンチン代表

▼11年3月11日 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で営業休止。直後から東電が事故対応拠点として使用。砂利やアスファルトが敷き詰められ、駐車場や資材置き場、作業員宿舎などに変容

▼同4月 本拠として活動していた日本サッカー協会の選手育成機関「JFAアカデミー福島」が静岡県御殿場市に一時移転

▼15年7月 環境省が施設本格除染開始

▼16年2月 日本協会が東京五輪男女日本代表の事前合宿使用を表明

▼同10月 復旧工事を開始

▼同11月 東電が事故対応拠点としての建物使用を終了

▼17年4月17日 グラウンドの芝張り替え開始

▼18年7月28日 スタジアムやホテルなど主要施設で一部営業再開。式典にはA代表と五輪代表を兼務する森保一監督も出席

18年7月、営業再開式典
18年7月、営業再開式典

▼19年2月20日 なでしこジャパンが男女通じて震災後初のA代表合宿開始

19年2月、なでしこ合宿
19年2月、なでしこ合宿

▼同2月24日 再開記念試合開催。いわきFCが5-0で福島に快勝

19年2月、再開記念試合
19年2月、再開記念試合

▼同3月19日 東京五輪の聖火リレー出発地に決定

▼同4月20日 全面営業を再開し、JR常磐線「Jヴィレッジ駅」も新設。なでしこリーグ公式戦が約9年ぶりに開催され、東京電力マリーゼの移管先でもある仙台が0-1で千葉に敗戦。7人組ダンスボーカルユニットDA PUMPもライブで盛り上げ。5000人収容のスタジアムなど天然芝と人工芝の計9面に加え、全天候型練習場や宿泊施設も完備

19年4月、Jヴィレッジ駅新設
19年4月、Jヴィレッジ駅新設

▼同7月6日 ラグビートップリーグを初開催。同カップ2019として東芝が42-5で宗像サニックスに勝利

▼21年4月 「JFAアカデミー福島」の男子が一時移転先の静岡県から帰還予定。女子は24年4月予定