20年世界スプリント総合王者で、男子500メートル金メダル候補の新浜立也(25=高崎健康福祉大職)が、まさかの20位に沈んだ。

スタートからわずか3、4歩でバランスを崩し、前のめりになった。その後、必死で追い上げたが、1度乱れたリズムは戻らず。金メダルの高亭宇(中国)から0秒80遅れの35秒12でゴール。五輪初出場で、レース後はぼうぜんだった。

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新浜は北方領土の国後島から直線距離で約20キロにある別海町の港町、尾岱沼(おだいとう)で育った。父聖勝さん(53)は漁師。地元ではアキアジと呼ぶサケの漁が盛んで、新浜も大好物だった。大学で群馬に行き、サケを食べると味の違いに戸惑い、母智恵子さん(52)に「もうあっちでは魚は食べない」と愚痴をこぼしたほど、オホーツク海のアキアジはおいしかった。

砂の堆積によって海に突き出たくちばしのような地形を砂嘴(さし)と呼ぶが、その日本最大である野付半島が新浜家の目の前に見える。さらにその奥に、国後島を望む。小学校の高学年になって父から釣りの技術を教わり、その海で新浜は暇があれば釣りをした。「遠くから来た全然知らない、おじさんやおばさんの釣り人に釣った魚をあげていた」と智恵子さんは笑う。

新浜は北方領土からの引き揚げ者3世に当たる。祖父進さん(故人)が終戦直後の1945年(昭20)9月5日、歯舞群島の志発島から引き揚げた。歯舞群島には同3日にソ連軍が侵攻したとされる。千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)の台帳によると、さかのぼること1904年(明37)、新浜の曽祖父が渡島したことが始まりだ。

当時は北海道だけでなく、東北や北陸から豊かな漁場や昆布などを求め渡島したケースが多いという。志発島でも漁業で生計を立てる人が多かった。新浜の釣り好きも、先祖の血を受け継いでいるのかもしれない。

中学卒業間際、父に憧れ本気で「漁師になりたい」とスケートを辞めようとしていた少年は10年後、五輪出場を果たした。「五輪は特別な大会だと思っていない。スケート人生において全てのタイトルを制覇する、1つにすぎない」と言い続けた新浜。500メートルではスタート直後につまずき20位に終わったが、18日には1000メートルが控える。オホーツク海に臨む大自然と、北方領土でたくましく生きた先祖のDNAが合わさって生まれた何事にも動じないメンタルは、次のレースでいきるはずだ。【三須一紀】

中学卒業時に小学時代から獲得したメダルを首にかけて記念撮影する新浜。大好きな釣り竿も一緒に撮影した
中学卒業時に小学時代から獲得したメダルを首にかけて記念撮影する新浜。大好きな釣り竿も一緒に撮影した
スピードスケート男子500メートルで20位となった新浜は浮かない表情を見せる(撮影・足立雅史)
スピードスケート男子500メートルで20位となった新浜は浮かない表情を見せる(撮影・足立雅史)