「支える力」最終回は、東京オリンピック(五輪)柔道女子52キロ級代表の阿部詩(20=日体大)の付き人を務める森和輝さん(23)。詩の兄で同五輪66キロ級代表の一二三(23=パーク24)と日体大時代の同級生でもある阿部家公認の最強サポーターだ。昨年3月に大学卒業後の人生プランを急きょ変更し、16日後に日本勢初の52キロ級金メダルを実現させるために陰で支える。「詩のためなら」と、もう1人の“お兄ちゃん”は、この日も畳の上で体を張り続ける。【取材・構成=峯岸佑樹】

阿部詩(左)をサポートする森和輝さん(近畿医療専門学校提供)
阿部詩(左)をサポートする森和輝さん(近畿医療専門学校提供)

「バーン!」。東京・世田谷区の日体大柔道場。静寂の中、乾いた音が何度も響く。その衝撃音が物語る技の破壊力。森さんは表情ひとつ変えないで、詩の豪快な担ぎ技や足技を受け続けた。「やり残しがないように1日1日を大切に過ごしたい。日を追うごとに重圧も増しているが、詩が普段通りに臨めるように少しでも力になりたい」。2人で歩んできた1年8カ月の過程を信じ、初の夢舞台への準備を入念に進める。

2人は不思議な出会いだった。一二三と仲が良い森さんが大学4年の時、60キロ級で階級も近いとの理由で3歳下の詩の投げ込みを受けるようになった。温厚な人柄で“お兄ちゃん”のような存在となり、すぐに打ち解けた。

付き人を探していた詩とのデビュー戦は、19年11月のグランドスラム(GS)大阪大会。対外国勢48連勝中の18、19年世界女王は、優勝すれば五輪代表内定の大一番だったが、決勝で世界ランキング1位のブシャール(フランス)にまさかの敗北。表彰式後の取材でも「神様の試練…」と号泣した。その姿を見た森さんは「これ以上迷惑をかけたら申し訳ない。運まで逃げてしまう」と付き人失格を痛感した。

阿部詩(手前)の打ち込みを受ける森和輝さん(撮影・峯岸佑樹)
阿部詩(手前)の打ち込みを受ける森和輝さん(撮影・峯岸佑樹)

20年2月のGSデュッセルドルフ大会は、複雑な心境で同行した。詩は決勝で3カ月前に黒星を喫した宿敵に雪辱を果たし、五輪代表に決定。翌3月上旬の祝勝会で正式に「五輪まで一緒に戦ってください」と懇願された。4月から地元熊本県の高校教諭(非常勤)に内定し帰郷予定だったため、その場では即答できなかった。熟考の末、人生プランを変更。専属の付き人になることを決意した。「この経験は今しかできない。何より、詩のためなら一緒に戦いたい」。詩が治療などで世話になっている近畿医療専門学校におとこ気を買われ、金銭的支援を受けながら柔道界では異例の「仕事(プロ)」としてサポートできる体制が整った。今春から日体大の職員にもなった。

仕事内容は稽古のスケジュール管理や出稽古先への送迎、飲料や補食の準備など多岐にわたる。ライバル対策として海外勢の組み手や得意技も習得し、常に要望に応えられるようにした。試合直前には「本人が気持ちよく臨めるように」と、受け身をする際の音を通常よりやや大きくするなど細かな気配りを意識する。

東京五輪で金メダルを目指す森和輝さん(左)と阿部詩(撮影・峯岸佑樹)
東京五輪で金メダルを目指す森和輝さん(左)と阿部詩(撮影・峯岸佑樹)

コロナ禍の1年は、武器の袖釣り込み腰などの担ぎ技を生かすために、足技や組み手に重点を置いた。詩は納得するまで稽古を続け、勝負師としてのモチベーションを維持した。ライバルから徹底的に研究されて包囲網を敷かれる中でも、今年3月と5月のGSを2連勝。担ぎ技でフェイントを入れてから大内刈りで一本勝ちする試合もあり、確かな手応えと進化を証明した。森さんは「この1年間でより柔道の幅が広がった」と成長を感じた。

東京五輪の試合当日の25日は、一二三の男子66キロ級もある。「チーム阿部」で、きょうだい優勝を目指す。森さんも詩の家族5人のグループラインに仲間入りし、これまでも試合結果だけでなく、けがや体調不良などの際には随時情報共有して団結力を高めてきた。「家族全員で詩をサポートしている。自分にとっても心強いし、このつながりやチーム力が、詩の強さの根源なのかもしれない」。

女子は92年バルセロナ五輪から採用されたが、52キロ級で日本勢の金メダリストはいまだ誕生していない。絶対的な強さで頂点に立ち「怪物」を志す20歳の柔道家には、その期待も懸かる。日本武道館での大勝負へ刻一刻と緊張感が高まるが、両者はより強固な信頼関係を築いて16日後に臨む。森さんの呼び名も出会った頃の「森さん」から「和輝くん」へ変わり、詩も日々素の自分を出せる環境に「ありがとう」と感謝の言葉を口にする。23歳の最強サポーターは「(付き人は)詩の涙から始まったが、五輪は笑って終わりたい。それをかなえるためにも、人生を懸けてともに戦い抜きたい」と、二人三脚を心に誓った。

「チーム阿部」の、左から阿部詩、森和輝さん、一二三の付き人の片倉弘貴さん、阿部一二三(近畿医療専門学校提供)
「チーム阿部」の、左から阿部詩、森和輝さん、一二三の付き人の片倉弘貴さん、阿部一二三(近畿医療専門学校提供)

◆柔道の付き人

主に選手の稽古相手やトレーニング、補食の準備や対戦相手の研究、スケジュール管理などを行う。雑務だけでなく、性格も求められ信頼する人を近くにおくことで平常心で試合に臨める効果もある。大会に出場する選手が、同じ所属の試合に出場しない現役選手を指名する形が大半で、森さんのような専属は珍しい。詩の兄の一二三、男子60キロ級代表の高藤直寿も専属がいる。多数の五輪女子代表は、受け身でのけが予防の観点から男性に依頼している。大相撲では「付け人」と呼ぶ。

GSカザン大会を制し、笑みを浮かべる阿部詩(左)と森和輝さん(近畿医療専門学校提供)
GSカザン大会を制し、笑みを浮かべる阿部詩(左)と森和輝さん(近畿医療専門学校提供)

◆森和輝(もり・かずき)1998年(平10)3月31日、熊本県生まれ。小2から柔道を始める。熊本・鹿本高-日体大-近畿医療専門学校。18年全日本ジュニア選手権55キロ級準優勝。右組み。得意技は背負い投げ。好きなタレントは千鳥。趣味は晩酌(焼酎好き)。162センチ。血液型A。

 
 
 
 
 
 

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)