<車いすラグビー日本代表 北海道Big Dippers/池崎 大輔(37)>

 メダルを取らないと意味がありません。12年ロンドン・パラリンピックは過去最高の4位でしたが、正直、メダルがないと8位と変わらない。3位決定戦で負けた悔しさしかありませんでした。ただ、会場は2万3000人の超満員。廊下に整列しただけで感極まりました。大声援、空気感、選手からの圧と全てが初体験で、パラリンピックは「夢の舞台」と実感した瞬間でした。

 ロンドン大会後は、危機感が強まり、自信をつけるために〝世界トップ3〟の米国、カナダ、オーストラリアのクラブチームで修業しました。無給でしたが、経験はお金で買えない。毎週試合もあり、フィジカルとメンタル強化にもつながり、強豪国との国際試合の経験が重要とも分かりました。

 6歳の時、手足の筋力が低下するシャルコー・マリー・トゥース病を発病しました。高2から車いすバスケットを始め、腕力が弱くなり、30歳で障がいに合った車いすラグビーに転向。競技人口も少なく、世界に挑む決意をしました。

 6年競技をして、楽しいことは一切ありません。パラリンピックでメダルを獲得して仲間と喜ぶ。たった、その一瞬のためだけに毎日練習しています。10月のアジア・オセアニア選手権では、昨年の世界選手権王者、オーストラリアに9年ぶりに勝利し、リオ大会の出場権を獲得しました。これまでは、10点差以上の大差で負けていたのに、互角に戦えるまでになりました。大会の模様は、多くのメディアに報道され、車いすラグビーの認知度も高まりました。この背景には、間違いなくラグビー日本代表の活躍があり、五郎丸さまさまです。

 20年東京大会は42歳のおっさんですが、通過点にすぎません。生涯現役で常に世界一を目指しています。50歳ぐらいまでは代表でやれる自信はあるし、長女(3)と長男(2)に東京大会の金メダルを首にかけてあげたい。自国で結果を残せば、さらに関心が高まります。プレッシャーはあるけど、車いすラグビーの普及、家族のために乗り越えてみせます。

(2015年12月16日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。