焦っている。前半戦が終わったが、結果を出せていない。無論、ピンバッジ交換の件である。

1896年の第1回アテネ大会からの友好文化。16年リオ五輪ではコレクターが路上で“交換所”を開設していたが、昨夏の東京五輪は海外観客なしで断念。ただ、国内の愛好家が国立競技場の周辺等で交流する姿はあった。

今回は厳格バブルで一般客と全く交換できない。メディアと大会関係者に限られる。序盤は濃厚接触で隔離され、出遅れた(現在まで検査22回すべて陰性)。復帰後はフィギュア取材で首都体育館に缶詰め。ようやくプレスセンターに足を運べた12日、勝負に出た。

声をかけまくる。出国前にピン交換の師匠から預かっていた「2(0)22」個を元手に、スピード森重のメダル授与式では約30人と交換。しかし、カーリング会場で組織委の責任者から「私の部屋へ」と招かれて勢いを失った。個室でお茶を出され「2人だけの秘密だ」と棚の奥から非売品のバッグを出してきた。欲しいが、ピンバッジではない。迷ったら迫られた。「交換しないと帰さない(と言っていた気がする)」。

同じ担当記者から拝受した日本の放送局、新聞社の人気ピンを要求された。釣り合わないが、応じなければ“軟禁”は解けそうにない。ギブアップ。大会後半戦の巻き返しの武器を失った。13日現在、まだメダル級の海外ピンバッジは獲得できていない。【木下淳】

中国人スタッフから自慢された北京五輪ピンバッジ
中国人スタッフから自慢された北京五輪ピンバッジ