<パリオリンピック(五輪):陸上>◇1日◇女子20キロ競歩◇イエナ橋
100年ぶりのパリ五輪。華やかな舞台で、勝負の光と影が交錯する。敗れた選手たちの物語を「グッドルーザー、敗者の轍(わだち)」として紹介する。
◇ ◇ ◇
見る人の表情。耳に届く歓声。1つ1つが背中を押してくれるような気がした。
陸上女子20キロ競歩で1時間34分26秒の32位となった藤井菜々子(25=エディオン)。東京五輪に続く2度目の五輪はほろ苦かったが、喜びをかみしめながらエッフェル塔を望むコースを20周した。「歓声が360度からあった。すごく楽しかった」。笑顔で声を弾ませた。
ただ、高2で競歩を始めた当初はコンプレックスを抱いていた。
「どこかマイナー種目にいく自分がいるみたいで…」
陸上を始めたのは小3の頃。長距離走が得意だった。小学校ではマラソン大会もずっと1番。全国高校駅伝出場を目指し、地元福岡の強豪・北九州市立高へ進学した。1年時から駅伝で活躍したが、冬に左足のすねを疲労骨折。「何もできないなら歩こうか」。リハビリの過程で競歩と出合った。
高2の5月の全国高校総体(インターハイ)の福岡県北部ブロック予選には、その流れのまま競歩で出場することになった。あくまで長距離へ復帰するための過程。競歩のルールもよく分からない。「この競技ではどうせ上には進めないから出たくない」という思いも抱きつつ、しぶしぶスタートラインに立った。
そこで思いも寄らない“快歩”を見せる。5000メートル競歩で初出場ながら2位に入ったのだ。「長距離で走り込んできたから体力はあったのかな」。2週間後の県大会では優勝。6月の北九州高校総体を大会新記録で制し、7月末の全国高校総体では23分17秒23で日本一に輝いた。2カ月半でタイムを2分以上も縮めてみせた。
うれしさが込み上げた。ただ、喜びだけが胸中を占めたわけではなかった。「優勝しちゃったから、来年も競歩で出るしかないのかな?」。日本一になってもなお、長距離への憧れは捨てきれずにいた。全国高校総体を制した次の日からは、競歩の練習はしなかった。競歩の大会が近づくまでは、長距離部員と一緒に走り込んだ。
思いが変わり始めたのは、約2カ月後のいわて国体。成年女子5000メートル競歩で2位となった直後だった。「速いね!」。優勝した岡田久美子に声をかけられた。
8学年上のオリンピアンは、高校生の自分を気にかけてくれていた。「すごくうれしくて」。会うたびに声をかけ合うようになり「一緒に世界陸上に出ようね」と言われたこともある。「マイナー」と思っていた競技で、縁は紡がれていった。
「女子競歩を盛り上げようとしてくださって。私も頑張ろうと思いました」
競歩で世界を目指す。心は定まった。岡田が保持していた5000メートル競歩の高校女子の日本記録更新が新たな目標になった。
自主練習に励んだり、フォームを確認したり。高校には競歩を専門的に指導するコーチがいなかったこともあり、よくチームメートの林奈海とともに審判員のもとへアドバイスを求めにいった。
その努力もあり、高3の17年えひめ国体では21分33秒44をマーク。岡田が保持していた高校記録(21分45秒09)を大幅に上回った。「最大の目標だった高校記録更新へ向かって全力で努力して、その分がちゃんと返ってきた。ゴールした時の達成感もよく覚えています。純粋に競技を楽しむことができました」。かつて抱えていた葛藤は、消えていった。
あれから8年。今は日本代表として、競歩界を引っ張る存在となった。
小さい頃に憧れていた長距離ランナーではない。タスキをつなぐことも、42・195キロを走ることもない。ただただ、歩く。それは思い描いていた姿ではなかったかもしれない。
でも今は、競歩だからこその価値も感じることができる。
「マラソンの応援は沿道で1回だけかもしれないですけど、競歩は同じコースを何回も歩くので、その分だけ応援できる。声も聞こえて、顔も見えて、歩きながら『○○さん来てる』って分かったりして。すごくいいなって思います」
【藤塚大輔】



