あの負けがあったからこそ-。ライバルの存在こそが成長の糧となる。
レスリング男子グレコローマン60キロ級準決勝で「ニャンコレスラー」の異名を持つ文田健一郎(28)が、世界選手権2連覇中の王者ゾラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)を破った。前年の世界選手権では決勝で対戦し、敗れていた。下馬評は相手に分があった。しかし猫のような柔軟性から得意の反り投げで逆転し、4-3と1点差の大接戦を制した。
その試合直後の文田の言葉が響いた。
「1年前に彼に敗れてから、自分のレスリングとの向き合い方がすごく変わった。あの試合がなければ、あの去年の世界選手権の決勝がなければ、僕はこの準決勝にも立っていないような状態だったと思います。それを彼が全力で攻めてくれて、僕を目覚めさせてくれて。こうしてオリンピックの舞台でもう1度戦えるという、ありがたい機会をもらえた」
敗戦を機にどういう思いを持って取り組んできたのか、透けて見えるようだった。この言葉を聞いて、あの選手を思い出した。
「チョー気持ちいい」。あの2004年アテネ五輪競泳男子平泳ぎで100メートルと200メートルの2冠に輝いた北島康介だ。
ブレンダン・ハンセン(米国)という強烈なライバルがいた。大会を前に北島は自身が持っていた世界記録を両種目ともに塗り替えられ、大きな壁となっていた。
元来の負けず嫌い。金メダルへの強い意欲をあらわにし、自らの心身を極限状態にまで追い込んだ。練習場のプールからずっとハンセンの姿を意識的に目で追った。言葉は一切かわさない。相手は目をそらした。動揺が見えた。そのレースではハンセンをまさに力ずくで抑え込み、優勝をもぎ取った。
五輪の歴史に残る名言は、心の底から飛び出した会心のひと言だった。
引退後、北島は日刊スポーツのインタビューにこう語っている。
「水泳は対人競技ではない。でも自分の場合は、子供の頃からタイムを伸ばすことより、ライバルとの対決に魅力を感じてきた。その方が心が燃えた。人間は相手やライバルがいるほど、力は出やすい。競争力があるからこそ、互いの力が引き上げられ、高いレベルの戦いにつながる。そんな意味では現役時代、自分はライバルに恵まれていた」(2016年5月26日付)
心が燃える。勝負の世界に生きるオリンピアンたちのエネルギーの源泉に他ならない。いかなるトーナメントにおいても勝者はたった1人しかいない。残る敗者はみな、そこからはい上がろうと努力を重ねる。勝負に生きる者たちの輪廻(りんね)がオリンピックという舞台を昇華させていく。
銀メダルだった東京五輪から3年。再び文田は五輪のファイナリストとなった。その捲土(けんど)重来の物語は、金メダルで報われるかは分からない。
ただライバルの存在が3年前の自分よりも大きくしてくれたことは間違いない。人は成長できる生きものだ。【佐藤隆志】



