堀米雄斗(25=三井住友DSアセットマネジメント)が2連覇を果たした。最終の1本で大逆転した。合計得点は281・14。2位のジャガー・イートン(米国)とは0・1点差という僅差だった。日本勢では白井空良(22=ムラサキスポーツ)が4位だった。
堀米は一発技の「ベストトリック」の最終5本目の滑走で97・08をマークし、米国勢のナイジャ・ヒューストン、ジョガー・イートンを大逆転。初代金メダリストとなった21年東京大会に続き、伝統の夏祭典の頂点に立った。
45秒間で技を自由に演技する「ラン」で1本目に89・90をマークし、上々のスタートを切った。ナイジャ・ヒューストン(米国)の93・37、ジャガー・イートン(米国)の91・92、白井の90・11に続く4位で終え、勝負は一発技の「ベストトリック」に持ち込まれた。 その1本目にテール側で滑る大技を成功させ、94・16をマークし暫定3位に浮上した。2本目、3本目、4本目と転倒。一方で宿敵ヒューストンは1本目に92・79、2本目に93・22と次々と成功。イートンも1本目に92・80、2本目に93・87、さらに4本目に95・25でトップに立った。 崖っぷちだった。しかし最後の1本で乾坤一擲の大技「ファイブオー」を成功。土壇場で97・08をたたき出し、トップに浮上。その後のヒューストン、イートンが上回れずに栄冠を手にした。
シーンをけん引してきた日本のエースが、どん底からはい上がった。東京五輪後の3年間は、苦難の連続だった。五輪予選シリーズから新たにランの得点が必ず反映されるルールが採用。ベストトリックを得意とする堀米にとっては向かい風となり「(東京五輪後は)地獄のような3年間」と、結果が残せない大会が続いた。それでも同シリーズ最終戦で優勝。最後の最後に日本勢5番手からはい上がり、「なんとか乗り越えられて、光が少しずつ見えてきている」と、手応えを得て帰ってきた夢舞台だった。
自己分析する性格は「負けず嫌い」。競技を始めた6歳の頃から、そのスタンスで勝ち上がってきた。父亮太さんの影響で地元の大島小松川公園で競技を開始。SSPと呼ばれる一角で、競技経験者の父から絶壁のような場所から滑らされる“超スパルタ教育”を施された。毎日体をあざだらけにしながら、泣きながら滑った。暇さえあれば映像で技を研究。できるようになるまで、辞めなかった。
東京・聖進学院高卒業後の17年から、本格的に本場の米国に活動拠点を移した。当初は英語もしゃべれず、コミュニケーションも苦手。それでも「スケボーで会話していた」と競技が共通言語だった。「絶対に行き詰まるときはあるけど、そこで諦めたらダメ。少しずつでいいから頑張って行ければ、その壁は越えられる」。自分を信じて挑戦を続けてきた堀米が、再び大舞台で輝きを放った。
◆堀米雄斗(ほりごめ・ゆうと)1999年(平11)1月7日、東京・江東区生まれ。6歳の時に競技を開始。高校卒業後の17年から本格的にアメリカに活動拠点を移した。18年に世界最高峰の「ストリートリーグ」第1戦で日本人初優勝を遂げ、3連勝を達成。20年秋には長年の夢だった「アメリカで家を買う」を実現。21年の世界選手権で初優勝し、世界ランキング2位で出場した東京五輪では初代金メダリスト。170センチ。



