苦難を乗り越えた先に2大会連続の銀メダルがあった。平野歩夢(19=木下グループ)がソチ五輪に続き2位に入った。2回目で大技の4回転を2連続で成功させるなど95・25点をマーク。最終滑走で同じく4回転の連続技を決めたショーン・ホワイト(米国)に2・50点及ばなかったが、4年間積み重ねてきた成果は残した。
悔しさと充実感が入り交じっていた。平野は2回目に「フロントサイドダブルコーク14-キャバレリアル(キャブ)DC14」の連続4回転に成功した。1月に史上初めて決めた究極の連続技を、五輪の舞台で完璧にやり遂げた。一時はトップに立ったが、最後にホワイトに同じ連続4回転技を決められ、演技総合で屈した。狙うは金だけだった19歳は「笑うところまでたどり着けてない自分がある」と悔しがった。しかし、苦難を乗り越えた分「楽しかった。今までイチ(一番)の大会だったんじゃないかな」とも口にした。
あの時-。選択を間違えたら死んでいた。昨年3月のUSオープン、4回転技で転倒。血の気はどんどん引き、顔は青ざめていく。重傷なのは明白だったが、負けず嫌い。「もう1本やらせてくれ」と言った。周囲は猛反対も、首をなかなか縦に振らない。最後は仕方なく折れたが、すぐ救急搬送。運ばれたのは集中治療室。その後、医師の宣告は衝撃だった。「1センチずれてたら死んでいたよ」。
肝臓は中で破裂し、膜1枚でかろうじてつながっていた。2週間、集中治療室にいた。もし少し打ちどころが悪かったら…、再度挑戦していたら…。体内で大出血を起こしていた。「人の言うことは聞くものですね」と笑うが、命懸けの競技だと知った。
一命は取り留めたが、左膝の内側側副靱帯(じんたい)を損傷。手術は回避できたが、恐怖心が付きまとった。5月、けが後、初めてボードを履いた時は、何千回と滑った実家のジャンプ台が怖く、2台のうち初心者用しか滑れなかった。「できない時間で自信をなくしていた」。五輪の頂点をイメージし、気持ちを保った。決勝では戸塚が転倒し、病院へ運ばれるのをモニターで見た。11カ月前の自分に似た状況。「不安は頭の片隅にあって滑り出した」。恐怖心と闘いながら、つかんだ快挙だった。
昨シーズン序盤に、未成年選手の飲酒や大麻使用が発覚し、全日本スキー連盟がスノーボードの活動を休止した。無関係だった平野にも問い合わせが殺到した。嫌気がさして携帯電話の連絡先を全て消去したこともある。2年前のXゲームでは優勝したが、注目度は低かった。スノーボードを広めたい思いもあるから五輪で活躍すると決めていた。
ソチ銀メダルは「取っちゃった。悔しさもなかった」。結果は4年前と同じ。でも、その重みはまったく違っていた。【上田悠太】