金メダルを期待されたウォーカーが苦渋の選択をした。19年世界選手権(ドーハ)男子50キロ競歩金メダリストの鈴木雄介(33=富士通)が22日、決まっていた東京五輪の代表を辞退すると発表した。高温多湿の過酷コンディションだった2年前のドーハを戦った体のダメージは大きく、長く十分な練習が積めていない状態だった。五輪で結果は残せないと判断し、補欠の勝木隼人(30=自衛隊)に代表を譲る決断を下した。

   ◇   ◇   ◇

6年前に20キロで1時間16分36秒の世界記録を樹立し、2年前に50キロで世界を制した男は潔かった。まだ45日あるが、東京五輪を辞退した。「金メダルを獲得することを強く望んで練習に取り組んできました。しかし、自分が望む結果を得るための状態まで仕上げていくことは困難と判断し、今般の決断にいたりました」とコメントした。16年リオデジャネイロ五輪には前年からグロインペイン症候群に苦しみ、その選考会すら立てなかった。長いリハビリ期間を経て、復活したが、再び苦難に見舞われた。

2年前の世界選手権で金メダルを獲得。同時に東京五輪の切符も手にした。しかし、気温30度、湿度70%超で46人中18人が棄権したレースの代償は、想像を超えていた。深夜号砲に備えた調整、そして過酷な「熱疲労」から蓄積したダメージは簡単に抜けず、十分に歩くことができない日々は1年以上も続いた。トレーニングを再開できたのは今春で、まだ強い負荷はかけられない状況。5月の東日本実業団選手権男子5000メートル競歩にもエントリーしていたが、欠場していた。

補欠である18年アジア大会金メダリスト勝木の準備期間も考慮して、6月中旬には最終判断をし、関係者には伝えていた。幾多の故障を経験した33歳。今の体で、残された時間を考えれば、万全を尽くせないことは分かる。過去には「個人でメダルを取りたい気持ちはあるが、それ以上に日本チームでメダルを取りたい」と話したことがある。日本として最大の結果を出したい-。その思いが強い。「期待に沿うことができず心苦しい思い。悔しい気持ちもあるが、日本競歩チームの一員として、出場する選手を応援していきたい」。そのコメントに大舞台を歩く権利を、自ら手放した思いが詰まっていた。

現役は続ける。前回大会の優勝者として22年世界選手権(ユージン)の50キロ競歩の出場権を持つ。「今後はコンディションを整えながら、徐々に試合に復帰していければ。来年の世界選手権、次回の五輪では金メダルを目指せるように頑張りたい」。その視線は3年後の目標まで、しっかり見据えていた。【上田悠太】