【ブルーペナント〈23〉】地元公立中の部活育ち鈴木唯人 笑って泣いて悔しさバネに

サッカーワールドカップ(W杯)北中米大会に向かう日本代表戦士の源流を探る連載「ブルーペナント」。フライブルクMF鈴木唯人(24)は、自然豊かな神奈川県葉山町(はやままち)の出身。地元の公立中学の部活動で育ち、今に至る未来を切り開きました。数々の挫折を知る非エリートは、どうやって「中体連」からトップまで上り詰めたのか? 当時のサッカー部顧問で母校・葉山中教頭、加藤歩(すすむ)先生(52)に話を聞きました。

サッカー

◆鈴木唯人(すずき・ゆいと)2001年(平13)10月25日生まれ、神奈川県三浦郡葉山町出身。横浜F・マリノスプライマリー追浜、葉山中、千葉・市船橋を経て清水入り。23年1月にフランス1部ストラスブールへレンタル移籍。同年7月に清水に復帰するも8月にデンマーク1部ブレンビーへ完全移籍。今季からドイツ1部フライブルクに所属。24年6月6日のW杯アジア2次予選のミャンマー戦で日本代表デビュー。国際Aマッチ6試合0得点。175センチ、71キロ。


◆加藤歩(かとう・すすむ)1973年(昭48)10月16日生まれ、横須賀市出身。逗子高(現逗子葉山高)、山梨大卒。山梨県立・甲府西高、神奈川県立横須賀工業高校等での非常勤教師を経て、01年に中学教員に。葉山町にある南郷中、葉山中を経て鎌倉市の玉縄中に勤務。今春から葉山中へ再赴任した。アマチュアトップのサッカー指導が行える「JFA Aジェネラルライセンス」を保持。

鈴木唯人が育った葉山中学は山の中。雨が降るとグラウンドは水浸しだった

鈴木唯人が育った葉山中学は山の中。雨が降るとグラウンドは水浸しだった

御用邸のある葉山町出身

三浦半島西部に位置する神奈川県葉山町。御用邸のある風光明媚(めいび)な場所が鈴木の故郷だ。小高い山をどんどん登っていく。海抜80メートルほど。視界の360度が深い緑に包まれるところに葉山中はあった。

「自然が豊か。山があり海があり、穏やかで温かい地域だなって思います。保護者の方もすごく温かい」

中学時代の3年間、鈴木を指導した部活動の顧問、加藤先生はそう話した。

欧州リーグで4強入りしたフライブルクにあって、鋭いドリブル突破とラストパス、決定力を誇る。日本代表3月の英国遠征でも2試合に出場した。

気鋭のアタッカーは地元中学の部活動から生まれた。遠藤航も同じケースだが、Jアカデミーなどのクラブチームが盛んな今、中体連から日本代表まで登り詰めることは少数派だ。

それだけに鈴木がどうやってはい上がったのか? その源流を知りたかった。

葉山中学に寄贈された、清水時代の鈴木のサイン入りユニホーム

葉山中学に寄贈された、清水時代の鈴木のサイン入りユニホーム

葉山中学に展示されている、鈴木から寄贈されたスパイクとボール

葉山中学に展示されている、鈴木から寄贈されたスパイクとボール

マリノス追浜昇格できず

「ここで頑張って悔しさを晴らしたい。もっと上を目指してプロになりたい」

反骨心を宿し、鈴木は中学に入学してきた。小学生時代「横浜F・マリノスプライマリー追浜」に所属した。しかしジュニアユースへの昇格はかなわなかった。一般的にJクラブが駄目なら、名の知れた街クラブを選択する子どもは多い。だが鈴木は生まれ育った地元中学の部活動を選んだ。

「2歳上にお兄ちゃんがいてサッカー部に所属していました。お兄ちゃんも足もとの上手ないい選手でした。県大会に出場していたし、状況がよく分かっていた。あと、地元に葉山ジュニア・グリーンキッカーズというチームがあって、他にも様々なチームから集まり、こういうメンバーらもいれば中体連だけどレベル的に戦えると思ったんじゃないですか」

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スポーツ

佐藤隆志Takashi Sato

Tokushima

1968年(昭43)生まれ、徳島県出身。91年入社。
希望したスポーツ部に在籍し、2010年サッカーW杯南アフリカ大会、12年ロンドン五輪など取材。デスクを経て現場に戻り、再び大好きなサッカーを取材、執筆しています。
少年時代に読売クラブのジョージ与那城のプレーに魅了され、同じくヒゲをはやしたバルデラマ(コロンビア)のトリッキーなプレーにハートをわしづかみにされる。フリット(オランダ)は憧れの偉人。好きすぎて入社後に髪型をまねたところ「ドレッド」と呼ばれたのは懐かしい思い出です。
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