道産子スラッガーが腕をぶす。東京オリンピック(五輪)に出場するソフトボール女子日本代表、札幌市出身の山本優内野手(32=ビックカメラ高崎)が、自身初の五輪での全試合勝利を目標に掲げた。東京五輪で3大会ぶりの正式種目に復活するが、24年パリ大会で再び外れるため、今大会のアピールは競技普及には大きな意義がある。08年北京五輪以来の金メダルで、競技の魅力を再び日本中に発信する。

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果たせなかった夢の舞台が、ようやくやってくる。山本は日本代表に10年から選出されているが、12、16年の五輪はソフトボールが正式種目から外れたため、縁がなかった。昨年はコロナ禍で1年延期。待ちに待った自身初のスポーツの祭典だ。海外勢との対戦は昨年1月末から2月にかけて行ったオーストラリア遠征以来で「世界のトップクラスの選手と戦えるのが楽しみ。チームで力を合わせ、全部の試合に勝ちたい」と意気込んだ。

08年北京五輪で、日本はエース上野由岐子(38=ビックカメラ高崎)を中心に初の金メダルを獲得した。当時の山本は社会人2年目で、07年世界ジュニア準優勝を経験も、日本代表には選出されたことがなかった。米国との決勝戦は勤務地でテレビ観戦。「すごい人たちの集まりで、自分が入れるなんて、思ったこともなかった」と振り返る。

2年後、自身も代表に入り14、16、18年と3度の世界選手権に出場。14年に世界一も経験し、18年は大会最多の6本塁打を放ち、世界屈指のスラッガーに成長。日本の主砲として期待されるが、五輪は異次元の舞台だと聞いている。「宇津木(麗華)監督や上野さんや(主将の)山田(恵里)さんに聞いても、やはり他の大会とは違う雰囲気だと聞く。そういう中でも力を発揮できないといけない」と気を引き締めた。

24年のパリ大会では再び正式種目から外れる。これからの競技の認知や普及に向けても、金メダル獲得は大きな意義を持つ。「北京での金メダルの後、日本では熱が冷めてしまったところもあった。1番になるのも大事だが、子どもたちに格好いいなと思ってもらえたら。そうすれば始める子も増える。五輪には力がある。北海道出身で日本代表で頑張っている選手がいるということを伝えられたら」。パワフルな打撃で世界を震撼(しんかん)させ、ソフトボール人気に再び火をつける。【永野高輔】

<ソフトボールと五輪>

◆96年 男子種目はなく女子種目のみアトランタ大会から正式種目として実施された。出場8カ国で日本は4位。

◆00年 シドニー五輪で8カ国が参加。日本は決勝で米国に延長8回サヨナラ負けで銀メダル。

◆04年 アテネ五輪は8カ国が出場し、日本は銅メダル。

◆05年 7月の国際オリンピック委員会(IOC)で、12年ロンドン五輪から野球とともに除外が決定。

◆08年 北京五輪(参加8カ国)で日本が米国を下し優勝。女子団体種目の金メダルは76年モントリオール大会のバレーボール以来だった。

◆09年 10月のIOC総会で、16年リオデジャネイロ五輪での競技種目復帰ならず。「一部の国以外の普及が少ない」などが理由とされる。

◆16年 8月のIOC総会で20年東京五輪の追加種目に選出される。開催都市が種目を提案できる仕組みで、復帰が決まった。

◆19年 2月の24年パリ五輪大会組織委員会がIOCに提案する開催都市追加種目を発表し、野球、空手とともに落選した。

▼山本優(やまもと・ゆう)1988年(昭63)8月20日、札幌市生まれ。札幌琴似中央小2年時に八軒東和グッピーズで野球を始める。札幌八軒中時代は女子軟式野球の札幌シェールズに所属。当別高1年でソフトボールを始め2、3年時に道高校選抜で国体出場。07年ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)入部。07年世界ジュニア準優勝。世界選手権は14年優勝、16、18年は準優勝。18年は大会最多6本塁打。日本リーグで本塁打王、首位打者、打点王各1回、三塁手でベストナイン6回。164センチ、65キロ。右投げ右打ち。