【7回!連載】読者の質問を根尾に「素直に育った理由を」「親御さんの方針は」〈5〉

田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、昨年からずっと追い続けている中日・根尾昂投手(23=大阪桐蔭)へのロングインタビュー(全7回)の第5弾です。前回までは主に根尾投手のピッチングについて、田村氏が気づいた点、根尾投手が感じている部分に触れてきました。ここから先は、技術論からは離れ、根尾投手の子ども時代の話から、大阪桐蔭時代のちょっとした話題まで、より幅広い話題でインタビューを続けていきます。今回は、読者の皆さんから多く寄せられていた「どうしたら根尾選手のような素直なお子さんになったのか、親御さんの教育方針があったら教えてください」との質問をぶつけています。

プロ野球

◆根尾昂(ねお・あきら)2000年(平12)4月19日、岐阜県生まれ。小2から古川西クラブで野球を始め、古川中では飛騨高山ボーイズに所属。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、2年春、3年春夏で優勝。4球団競合の末、18年ドラフト1位で中日に入団。3歳から始めたスキーでは、中学2年時にアルペンスキー回転で日本一となり、世界大会にも出場した。内外野をこなし、22年途中から投手に登録を変更。22年は野手として49試合に出場し打率2割、本塁打なし、4打点。投手として25試合に登板し勝敗なし、1ホールド、防御率3・41。177センチ、78キロ。右投げ左打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

きまじめ一本じゃないのが根尾の魅力。田村氏の求めに、サービス満点の1枚=2023年8月17日

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根尾に質問をぶつける前に、ライバル小園の話題を振ってみました。

「僕は素直じゃない」

田村氏この間、広島の小園の話をしていたけど、その後は対戦した?

根尾いや、その後はしてないですね。

田村氏どうやって打ち取るか、イメージはできてんのか?

根尾はい。でも、ここで話しちゃって、大丈夫ですか? (録音しているスマホを笑顔で見ながら)大丈夫ですか? フフフフ。

 1年目のフレッシュ球宴で。華がある同期=2019年7月11日、楽天生命パーク宮城(当時、現・楽天モバイルパーク宮城)

1年目のフレッシュ球宴で。華がある同期=2019年7月11日、楽天生命パーク宮城(当時、現・楽天モバイルパーク宮城)

田村氏ハハハハ、そんな細かく言わなくていいんだよ。

根尾はい、でも今は(小園が)めっちゃ調子がいいんで。ちょっとまた攻略法は変わってくると思います。

田村氏まあ、意識していればな。いずれは対戦はするだろうから。対戦するにつれて戦い方も変わってくるだろうし。まあ、俺もウエスタンはなかなか見る機会ないからな。

根尾はい、確かに。


田村氏それで、話は変わるんだけど。読者の方から質問があるんだよ。なんで根尾選手みたいに素直に育ったんですか? って。ご両親の教えとかあるんですか? って。

根尾あああああ~、僕は素直じゃないですね。親の教えもないですね。くそ生意気ですね。本当に生意気です。

田村氏ご両親から特別に何かあったの?

根尾いや、僕は3人目だったんで、全然そんな…。めっちゃ厳しくとか、ないですね。

田村氏上はお兄さん?

根尾僕の上が兄で、もう1個上に姉がいます。

2017年1月4日、大阪桐蔭グラウンド

2017年1月4日、大阪桐蔭グラウンド

田村氏その2人を見て、こういう風になろうと思ったことは?

根尾野球を始めたのは兄だったんで。

田村氏ああ、そうなの。

根尾はい、かっこいいなと思って。県大会決勝まで行ったんですけど、甲子園は行けなかったので。残念でした。

「親の遺伝だけです」

田村氏お姉さん、お兄さんは今はどうしてるの?

根尾兄が医師で、姉が看護師です。

田村氏そうか。それでご両親が医師だよな。お前も勉強できるもんな?

根尾いえ、もう、僕は親の遺伝だけです。親の力です。僕の力じゃないです。

田村氏そういうことにしておこうか?

根尾はい、僕の力じゃないです!

田村氏フフフ。

根尾親の血です。

田村氏でも、そうは言っても何かあったんじゃないの?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。