【甲斐野を励まし】ハム田中正義は、予想をはるかに超える大正義だった【周囲に感謝】

田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、日本ハムの守護神・田中正義投手(29=創価大)への初めてのインタビューです。昨年ソフトバンクから日本ハムに移籍し、新庄監督から守護神に指名されてプロ7年目にして初セーブ。涙のお立ち台は、多くのプロ野球ファンの心をゆさぶりました。今季もクローザーとしての活躍が期待される田中投手に、田村氏がホークス時代から変わったこと、成長できたことを聞いています。

プロ野球

◆田中正義(たなか・せいぎ)1994年(平6)7月19日、神奈川県生まれ。創価高―創価大。大学3年時に日本代表。同年ユニバーシアード夏季大会で優勝に貢献した。16年ドラフトで5球団競合の末にソフトバンク入団。18年4月1日オリックス戦でプロ初登板。22年オフ、近藤健介のFA移籍に伴う人的補償で日本ハム入り。移籍1年目の昨年は抑えを務め、自身最多の25セーブをマークした。23年は47試合に登板し、2勝4敗25セーブ、防御率3・50。プロ通算81試合で2勝4敗25セーブ、防御率3・83。188センチ、93キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3600万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「いえ、長かったですね」

田村氏はじめまして、田村です。

田中はじめまして、よろしくお願いします。

田村氏ちょっと、初めてなので、話しづらくないですか?

田中いえ、大丈夫です。

田村氏去年日本ハムに来て、これまでのソフトバンクと何が違ったと思いますか?

田中やっぱり、いきなり開幕から、勝ち試合で投げるからと言っていただいたことが、僕の中ですごく大きかったです。

そこで、なにか、ひとつ役割をもらえたっていうことは。今までホークスの時は、何とか1軍に残らなければと思ってやっていました。そういうところで戦っていたんですが、日本ハムに来てチームの勝ちを任されるようになって、すごく責任を感じましたし…。

それはもう、ちょっと調子悪いなとか、そんなの関係ないな。とにかく、マウンドに上げてもらったんだから、何とか0で、どんなに汚くてもいいから0で帰ってこなければいけないなって。

最初はそういう積み重ねで、気づいたら9回を投げるようになっていて、勝ったまま試合が終わればそれでいいやと思ってやっていて、そのままシーズンが終わった、そういう感じでした。

田村氏あっという間でしたか?

田中いえ、長かったですね。ずっと9回投げるのは、なかなか精神的にきつかったです。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。