日本ハム柿木蓮に会いたくて国頭に…田村さんが授けた失投まで使い切るポジティブ思考

田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、プロ6年目で2018年のドラフト5位・柿木蓮投手(23=大阪桐蔭)です。23年春、キャンプ取材で訪れた沖縄・国頭の2軍キャンプで、22年オフに育成契約となったばかりの柿木投手にはじめてインタビューをして、早くも1年がたちました。育成2年目を迎えた柿木投手は、現在の思いを余すところなく話しています。前後編で送ります。

プロ野球

◆柿木蓮(かきぎ・れん)2000年(平12)6月25日、佐賀県多久市出身。多久市立北部小学校2年で野球を始める。佐賀東松ボーイズに所属していた中学3年で143キロをマーク。世界大会の日本代表に選出されている。大阪桐蔭では2年夏の甲子園3回戦の仙台育英戦に先発。3年春は背番号「1」。初戦、準々決勝、準決勝で先発したが、決勝の先発マウンドは根尾に譲った。同年夏の甲子園大会では吉田輝星擁した金足農との決勝戦で先発、完投して春夏連覇を達成した。18年ドラフト5位で日本ハムに入団。プロ通算4試合の登板で0勝0敗、防御率2・08。23年から育成選手。昨季はイースタン・リーグ33試合に登板し、4勝1敗3セーブ、防御率2・21。右投げ右打ち。181センチ、87キロ。今季推定年俸440万。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

2月17日、沖縄・国頭

2月17日、沖縄・国頭

「気持ちが揺れるというか」

柿木田村さん、こんにちは。今年もよろしくお願いします。

田村氏こんにちは、元気そうだね。今日も練習の合間に時間作ってくれてありがとうね。

柿木いえいえ、とんでもないです、大丈夫です。また国頭まで来ていただいて、すいません。

田村氏1年ぶりだね。

柿木はい、そうですね。

田村氏去年は育成1年目で、必死だったと思うけど、どんな1年でしたか?

柿木なんていうんですかね、いろいろ、気持ちが揺れるというか。難しい部分があるのかなって、そういう風に感じたんですけど。

田村氏昨年は夏場までずっと防御率0点台で、それが最後に失点してしまったと思うんだけど。そういうのっていうのは、今、振り返ってみてどう思いますか?

本文残り76% (3382文字/4477文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。