【山本草太〈3回連載/中〉】絶望にいた16歳の秋 心揺れるも「スケートが好きで」

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫ります。

シリーズの第2弾は26年ミラノ・コツティナダンペッツォ五輪を目指す山本草太(22=中京大)が登場します。

全3回の中編では、大阪から名古屋に拠点を移してからの日々を追います。

ジャンプ技術向上のきっかけ、厳しくも楽しかった練習環境、そして大けが。激動の10代の証言です。

フィギュア

22年8月、げんさんサマーカップ選手権男子SPで演技する山本

22年8月、げんさんサマーカップ選手権男子SPで演技する山本

岸和田から名古屋、長久保コーチの元へ

2012年の秋、生まれ育った大阪・岸和田の中学校で、山本はあいさつをしていた。

「今日から転校することになりました」

ジャンプを跳べるようになるため、もっとうまくなるため、中学校1年の途中で母と向かった名古屋。

仮宿に泊まり、邦和スポーツセンターで長久保裕コーチに師事をあおぎ、1カ月ほどが過ぎようとしていた。目標だった全日本ノービスでは、1年ぶりに自己ベストを更新して優勝を果たしていた。

拠点にしてきた大阪から、転校手続きもする時間もないほど、慌ただしく名古屋で生活してきた。試合を終えて、ようやく友達に別れの言葉を伝えた。

「実家はこっちだから、帰ってきたら遊ぼうね」

そんな約束を胸に、いよいよ本格的な名古屋生活が始まった。

「練習の仕方と量が尋常じゃなかったですね」

衝撃は移籍した初日にあった。練習開始とともに基本的なクロスのステップをしながら、数周リンクを回るが、まったくついていけなかった。

「大阪の時は『スピードがすごい』と褒められていたんですけど、邦和で初めてスケートをした時は、間隔が開くぐらいスピードがすごくて。『こんな練習を貸し切りに入った瞬間から毎日やってるんだ』とびっくりして。それはみんなうまくなるわ、と」

15年12月ジュニアグランプリファイナルで気迫の演技を見せ3位に入った山本

15年12月ジュニアグランプリファイナルで気迫の演技を見せ3位に入った山本

環境が後押し、中3で世界駆け上がる

今までは個人レッスンが主体だったが、邦和ではグループ。頑張っている選手でないと、コーチは見てくれない。必死にやらなければ置いていかれる。その環境が合っていた。

「やればやるほど見てもらえてうまくなる。逆だと、その差がどんどん開く。でもスケートの先生はそれでいいのかなと思います。僕があまりがんがんできるタイプでないので、食らい付いていった。それが良かった」。

求めていたジャンプの指導も、思いがけない手法だった。

手の位置、足のフリーレッグの位置を全て時計の針に例えて、細かく指摘された。

「腕を斜めや後ろではなく、しっかり腕を水平にしなさい。その上で左手を12時、右手を4時とか。そこから水平に締めていく」。

未体験の連続。基礎から作り直したジャンプは、容易には習得できるものではなかった。時間がかかる。中学校2年生では大会で表彰台に届かない苦闘もありながら、やがて楽しさも増えていった。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。