【山本草太〈下〉】はい上がって芽生えた「スケートを生きる」感情 今、夢の途中

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫ります。シリーズの第2弾は26年ミラノ・コツティナダンペッツォ五輪を目指す山本草太(22=中京大)が登場します。

全3回の下編では、大けがからの復活の日々を見つめます。苦難を経て、いまスケートを滑る意味とは-。

フィギュア

手術を経て戻ってきた17年の全日本選手権。演技が終わる前から拍手に包まれ、滑りきったフリー

手術を経て戻ってきた17年の全日本選手権。演技が終わる前から拍手に包まれ、滑りきったフリー

お帰り草太! 1回転ジャンプでも総立ち拍手

跳べなかった自分に送られる称賛、共感の波が体を震わせていた。

「『大好きなスケートを楽しもう』。ようやく、そんな気持ちで滑れて。チームメートが泣いていてくれたり、ジャンプは1回転でしたけど、お客さんもスタンディングオベーションをしてくださって…」

2017年10月1日。その日の愛知県・モリコロパークに満ちた、帰還を心待ちにしていた人々が醸した雰囲気を、山本は一生忘れることはない。

フリーの演技。

最後のスピンが始まった時から、自然に拍手は起きていた。

そこは18年平昌五輪の1次選考会でもあった中部選手権だった。

絶対目標にしていた舞台へつながる道。少し前はそのはずだった。

それが16年3月の右足首骨折から、道の先は見えなくなった。

長いリハビリが続いた。

だから、その舞台に立つ意味は、1年半前の自分とは全く違った。ただ、純粋に思えた。

「本当に出て良かったな」。

その場所、時間が新たな始まりになった。

17年の全日本選手権、SPの演技を見せる山本

17年の全日本選手権、SPの演技を見せる山本

演技後に見たかけがえのない景色

決して前向きに復帰戦を迎えた訳ではなかった。

「試合の前日までめちゃくちゃ悩みました。ジャンプは1回転までしか跳べないし。前は3回転、4回転とか跳んでいたのに。その恥ずかしさもありました」

ジュニアで世界の頂点を競っていた過去が、現在に覆いかぶさる。足首への衝撃を避けるために、まともにジャンプを跳んでもいなかった。

「ブロック大会(中部選手権)、出てみたら?」

そんなコーチの声掛けに、即断はできなかった。「棄権はいつでもできるからエントリーだけしよう」。そう思って首を縦に振ったが、ずっと人前で滑るのがためらわれた。

「どうしても表舞台に立つ勇気がでなかったんですけど、でも、もうショートの日を迎えてしまって」

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。