【山隈太一朗〈4〉】コーチに田中刑事に…あえて「自己中」しゃべくりキャラ変 

日刊スポーツ・プレムアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第10弾は、明治大を卒業したばかりの山隈太一朗(22)を連載中。シリーズ最長? 5時間に及ぶロングインタビューの第4回は、大学3年の全日本選手権(さいたま)から4年まで。高校2年の時に起きた〝事件〟の回想にも発展します。

重松直樹コーチに声を荒らげた理由とは? しゃべり倒すキャラに変わったという高2の夏、林祐輔コーチや田中刑事との出来事とは? そして引退を宣言し迎えたラストシーズン。万感の演技で締めくくる22年の全日本選手権(大阪)までを紹介します。(敬称略)

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大学3年時、21年全日本選手権のSP。「10位以内に入れなければ、次シーズンで引退」と決めて臨んだ大会だった

大学3年時、21年全日本選手権のSP。「10位以内に入れなければ、次シーズンで引退」と決めて臨んだ大会だった

大学3年の全日本前の爆発…思い出した高2の時

山隈が怒った。烈火のごとく。21年12月、大学3年の全日本。前年の同大会はショート(プログラム=SP)落ちとなる26位だった。もし繰り返すようなことがあれば、終わる。「もう怖くて怖くて仕方なくて」感情をコントロールできなかった。

不安定になり、原因を自分以外に押しつけた。明治大進学で上京して以降、師事してきた重松直樹コーチに、初めて声を荒らげてしまった。

「体のバランスも何もかも崩れていて、ショート前日の公式練習で何もできなくて。その時、重松先生が修正点とか何も教えてくれなかったんですよ。許せなくなって、練習が終わった瞬間、詰め寄ったんです。『何してんすか? 俺があんなに何もできず苦しんでんのに、ただ立ち尽くしているだけなんて。あり得ないでしょ!』って。重松先生は『いや、今のお前は何を言っても聞かないだろう』と。『だったら、そうやって立っとるだけでいいんかよ! 何のために、あなたはリンクサイドに来ているんですか? 俺に何を言っても無駄かもしれないけど、だからって、ポイッて放り出したら、あなたがそこにいる意味ないでしょ! 何で放置してんすか!』って、けんか腰で。もう全然、お客さんの前で、めちゃくちゃ言ってしまいました。やっぱり極限だったんでしょうね、信じて任せてくれていたのに、当時の自分には先生が、すました態度に見えてしまって」

らちが明かないほど、やり合った。公式練習が終わり、バックヤードへ戻っても続いた。

「収集つかなくて。その場を収めてくれたのが、メンタルコーチの方でした。1年前の全日本でショート落ちした後、メンタルサポートを受けるようにして。その先生が全日本、見に来てくれたので『急なんですけど、ちょっといいですか』って時間をもらって、洗いざらい、その時に思ったことを全て話して。やっぱり、話していると、だんだん考えがまとまってくるんすよ。アホみたいに、ずっとしゃべって。そのうち『何で俺、こんなに乱れてたんだろう、こんなイライラしたんだろう』となって、やっぱり『あ、俺、怖かったんだ』と思ったんです。全日本にビビッっていたこと、恐怖からくるものだったことに気付いて」

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。