【大庭雅〈上〉】突然ウワサされるようになった14歳、1000日のルーティンで花開く

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第8弾は、大庭雅(27=東海東京フィナンシャル・ホールディングス)の登場です。スケート界では大学卒業とともに引退する選手が多い中、「社会人スケーター」としてリンクに立ち続け、昨年末には11度目の全日本選手権に出場。。同大会の女子シングル出場者では最年長ながら、ショートプログラム(SP)で13位と健闘し、総合20位に入りました。今もたくさんのスケートファンから愛されています。

上編では、幼少期の習い事や競技を始めるまでの過程、全国的には無名だったノービス時代の葛藤をつづります。(敬称略)

フィギュア

   

11度目の出場となった22年の全日本選手権、SPの演技をする大庭

11度目の出場となった22年の全日本選手権、SPの演技をする大庭

週7で習い事、フィギュアは入らず

「スケート、あんまり楽しそうじゃなかったんだよ」

両親は懐かしむように、そう教えてくれた。自分はあまり覚えていない。

名古屋の中心地から東へ20キロ弱。愛知・長久手市の愛知青少年公園。

2005年に愛・地球博(日本国際博覧会)が開かれることになるその地には、休日に家族連れでにぎわうアイススケート場があった。

大庭雅は小さかった頃、何度かそこへ出かけた。フィギュアスケート好きの両親に手を引かれた。

「今はモリコロパークがある場所なんですけど。実家の瀬戸市から近かったので、遊びに行ったことはあって。でも、全然楽しそうじゃなかったらしくて。親によると」

今は笑って回顧できる。右手で黒髪をかきながら、柔らかな表情で20年以上前の追憶にふける。

大庭雅(おおば・みやび)

1995年(平7)8月8日、愛知県瀬戸市出身。幼少期はバレエや囲碁教室などの習い事を掛け持ち。4歳から器械体操を始める。フィギュアスケートを始めたのは10歳。10年に全日本ジュニア選手権3位に入ると、同年の全日本選手権8位。11年世界ジュニア選手権は8位。12年のジュニアグランプリ(GP)シリーズ第7戦ブラオエン・シュベルター杯で2位。14年GPシリーズ第4戦ロステレコム杯6位。愛知・中京大中京高を経て中京大へ進学。卒業後は東海東京フィナンシャル・ホールディングス(FH)に所属して競技を継続。趣味はLesMills/ZUMBA。好きな食べ物は「甘いもの」。身長162センチ。血液型O型。

「お父さんは一生懸命滑らせて、私に『スケートをやりたい!』って気持ちにさせようとしていたらしいんですけど、自分が全然そんな感じじゃなくて」

どうも気が乗っていない愛娘へ、両親はすぐにスケートを強いることはしなかった。

その代わりに、たくさんの可能性を与えてくれた。

「週7で毎日違う習い事をしていて。本当にいろんなことを経験させてもらいました」

あの頃は想像できなかった。

27歳になった未来の自分が、フィギュアスケーターとしてリンクに立ち続けていることを。全日本選手権に11度も出場することを。

「私だけじゃなくて、誰も想像していなかったと思います。今でも信じられないです」

なぜなら幼い頃に跳んでいたのは、体操の四角いタンブリングバーンの上だったのだから。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。