【山隈太一朗〈5〉】ステファン、サロメと夢の時間経て 田中刑事の縁でカリブに船出

日刊スポーツ・プレムアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第10弾は、明治大を卒業したばかりの山隈太一朗(22)を連載してきました。シリーズ最長? 5時間に及ぶロングインタビューの最終第5回は、悲願のスイス・シャンペリー合宿から。憧れのステファン・ランビエル氏、振付師サロメ・ブルナーさんとの夢の時間が引退シーズンに実現していました。

卒業後はプロのキャストへ。先輩、田中刑事の紹介もあり、異例の北中米カリブ海へ航路が開きました。

世界最大級のクルーズ運航会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル」の豪華客船「ハーモニー・オブ・ザ・シーズ」号の出演者として、船内アイスリンクで舞う日々に挑むことに。この5月に、いよいよ渡米します。(敬称略)

フィギュア

   

22年、最後の全日本でフリーの演技をする山隈。「こんな空間、もう2度とないんだろうな…」

22年、最後の全日本でフリーの演技をする山隈。「こんな空間、もう2度とないんだろうな…」

大学最終学年、やっと実現したスイス留学

22年4月、大学の最終学年を迎えた山隈は、アルプスの麓へ向かう登山鉄道に揺られていた。

目的地はスイス・シャンペリー。日本を出発し、経由地ジュネーブからの約56キロを2時間半ほどかけ、標高375メートルから1035メートルまで登っていく。

車窓から、まだまだ雪の残る山々を見渡しながら、感慨に浸っていた。2年越しの実現だった。断念せざるを得なかった大学1年の冬を思い出していた。

「スイスで合宿してみたいと思って、実際に動きだしたのは大学1年の終わりだったんですよね。(本連載の第3回で)『踏んだり蹴ったりの1年目』と話した通り『このままじゃダメだ』って、すごく感じて『何か違うことを』『新しいことをしなきゃいけない』って感じていて。初めての東京での1人暮らしが大変だったとか、いろんな要素もかみ合っていたんですけど、そのタイミングに『いつか海外の振付師さんにお願いしたい』っていう夢、憧れを重ねたんです。海外に修行へ行けば“自分を変える”いいきっかけになるんじゃないか。そう思って両親とも相談して、もう昔から大好きなスケーターに教えてもらえないか、いろいろ調べ始めました」

その中で熱望し、関係者を通じて連絡先を入手できたのが、ステファン・ランビエルだった。

「ちょうどステファンが先生を始めたころで。自分はステファン“おたく”として自伝も読んでいたし、もう『ポエタ』なんて何十回、何百回か分からないくらい見てきました。そんな憧れの方に振り付けをお願いして『その練習も兼ねて2週間ほどスケート全般の修行もさせていただけないか』って打診したんです」

返ってきたのは「難しい」だった。

「理由を聞いたら、やはりステファンはコーチになったばかりだったし、既に多くの振り付けを頼まれていてスケジュールが取れそうにないと。ただ、そこで終わらなかったんです。『サロメにお願いすることは可能だけど、どうかな?』って提案してくれて」

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。