皿屋豊(38=三重)の思いに触れたい。彼を取材して、自力選手が自力選手の後ろを回ることの重みを考えさせられた。三重・伊勢市役所に15年間勤務したあと、17年7月に34歳でデビューした苦労人で、自力一筋で奮戦。初めて番手を回ったのは昨年12月の広島G3で、年下で後輩期の山口拳矢の後ろだった。

皿屋豊(21年1月撮影)
皿屋豊(21年1月撮影)

2月上旬の地元松阪F1初日特選は、先輩期の竹内雄作と金子貴志の3人で同乗。私は皿屋が年下の竹内の番手を回ると考えていたが違った。「竹内君が『地元なので好きにやってください』と言ってくれたが、年齢の上下だけで片づけたくなかった。これまで彼が中部ラインでやってきた実績を考えれば、僕も前でやれることがある」。地元戦であっても相手のキャリアを尊重して、目先の走りはしないという思いを感じた。

決勝も同様で、竹内と、同県の後輩で9歳年下の伊藤裕貴と3人。竹内は別線となり、皿屋は「伊藤の前で頑張る」と言った。実は伊藤は報道陣との雑談で「皿屋さんは勝ち上がったら僕に『頑張ってくれ』って言いますかね(笑い)」と話していたが、年下であっても伊藤のキャリアに敬意を表した。

38歳という年齢を考えれば残された時間も長くはないし、番手を回りたい気持ちはあったはず。でも、辛抱した。簡単にできる決断ではなかったと思う。古い言葉だが「競輪道」を貫く皿屋は、ますます誰からも認められる存在になっていくと信じている。