平原康多(37=埼玉)が史上3位タイとなる10度目の挑戦で悲願を達成する。落車に泣いた昨年のレースをバネに1年間自分を磨き、スピード化や新ルールにも対応。若手やナショナルチームにも負けない強靱(きょうじん)な肉体で激戦を制してみせる。

4分18秒。

昨年の静岡GP、最終3角で落車した平原は、他の8選手から遅れてゴールするまでにこれだけの時間を要した。

ひしゃげたハンドルや車輪が落車の衝撃を物語る。転んでは立ち上がり、何度も再乗を試みるがなかなか前に進めない。すると、固唾(かたず)をのんで見守っていた満員の場内から徐々に拍手と歓声が沸き起こり、平原の背中を押した。こうして平原の平成最後のGPは終わった。

「ゴールする時は本当に涙が出そうでした」

その様子を金網の外からファンが写した1枚の写真。SNS上に上がったこの画像を平原は大事に保存し、今年1年、スマートフォンの待ち受けにして恩返しを誓ってきた。

「今年のG1で勝てるチャンスがあったとすればオールスター(8月、決勝5着)だけでしたね。スピード仕様のフレームと体の状態が完璧にマッチしていたんです。他は成績だけ見れば安定しているように見えても、常に試行錯誤の連続。苦しい1年でした」

スピード化への対応、ペースが上がって緩まない新ルールへの対策と、やるべきことは山積み。レースに行けば次々に現れる若手の刺客が首を取りに来た。

「今年は最大で7キロまで減量して、37歳の自分の体が一番動くポイントを探りました。そのかいもあって夏場はトップスピードへの対応がつかめたんです。でも新ルールに変わり、タイムの出ない冬場の重いバンクになったら、どうなるか分かりませんでした」

GP出場の当落は直前の競輪祭の決勝にまで持ち越された。結果的に何とか切符はつかんだものの、清水裕友に競り負けての9着は、プライドに小さな傷痕として残った。

「やらなきゃやられる世界なんだと改めて思い知らされました」

競輪祭後に自宅の改修工事が終わり、新たな練習部屋が完成。1人で自問自答しながら練習する時間が増え、ついに答えを導き出した。

「風が強い立川で使うのはこれだ、というフレームが決まりました。それからはその1台しか乗っていません。すべてがマッチしてくれるはずだし、迷いは何もありません。やってきたものをすべてレースで出し切るだけです」

出場も10度目となれば、たたずまいは堂々たるもの。気負いもなく、静かに勝負の時を待っているように見える。

これまで9度もはね返された高い壁に立ち向かう準備は整った。令和初のGPチャンピオンの称号をつかみ取り、元号をまたいだ2年越しのストーリーが完結する。【松井律】