30日付で引退した高橋大作。お疲れさまでした
30日付で引退した高橋大作。お疲れさまでした

昨年10月のG3京王閣以降、欠場していた高橋大作(45=東京)が、30日付で引退した。

ごく少数の近い人間にしか明かしていなかったため、突然の引退発表には驚いた関係者が多かった。31日、引退を決意するまでの胸中を明かしてくれた。

99年8月デビュー。2年でS級へと駆け上がり、以降はガッツマーカーとしてメキメキ頭角を現していった。

「若い頃は、佐久間仙行さん、川口満宏さん、広川貞治さんらの背中を必死で追いかけていました。36歳の頃かな。大ギアに対応できず、思うような成績を残せないきつい時期が来ました。常に上には上がいたし、もっと成績を残したかったけど、厳しい世界でしたね」

まだまだやれるように思えますが、引退を意識し始めたのは?

「かなり前から45歳を1つの区切りと考えていたんです。20年目の節目でもあったし、父(耕作=25期)も45歳で引退していましたから」

S級はキープしていても、40代はずっと苦しんでいたように見えました。

「そうですね。勝てなくなったのがけがのせいなのか、他に原因があるのか自分でも分からなくて、悩んでいるうちにあっという間に45歳になっちゃいましたね」

引退を決意したのは?

「昨年は3度も地元の京王閣に呼んでもらったんですが、全て落車で終わりました。もういいんじゃないか? と言われているような気がして…。若い子に付いていけないし、お客さんの期待にも応えられない。潮時だなと思いました」

結果的に落車がラストランになってしまいましたが、悔いはない?

「走ることに関して悔いはありません。でも、競輪のホームページで自分が登録消除となっていたのを見て、寂しさは感じました」

思い出のレースは?

「06年末、京王閣グランプリシリーズのF1戦。すごい数のお客さんの前で優勝したレースですね。その後に高校(秋田・大曲農高)の先輩の有坂直樹さんがグランプリを勝ったから、喜びもひとしおでした」

今後の予定は?

「来春に調布市内でジムを開業する予定です。場所も決まったので、6月ごろから本格的に準備に入ります」

ラインの自力選手は全力ブロックで援護する。目標がいなければ、別線の強い自力選手の後ろを取りにいく。泥臭く、気持ちのこもったレースでファンをワクワクさせる名選手だった。20年の現役生活お疲れさまでした。【松井律】