昨年9月のG2共同通信社杯(松阪)の落車から長期欠場していたS1班の林雄一(41=神奈川)が、引退を表明した。

引退を決めた林雄一の表情は晴れやかだった
引退を決めた林雄一の表情は晴れやかだった

林は1次予選のレース中に心停止に陥り、意識を失ってゴール後に落車。7分間も心停止が続く危険な状態だったが、中村浩士(千葉)らの懸命な処置で奇跡的に一命を取り留めた。

「中村さんと松阪の管理課長が順番に心臓マッサージをしてくれました。僕の肋骨(ろっこつ)は2本折れていた。それぐらい必死に蘇生してくれたんです。助かったことも奇跡なら、障害が残らなかったことはもっと奇跡。2人には感謝しても、し切れません」

その後は高次脳機能障害を専門に扱う病院に入院し、70日間のリハビリに努めた。退院後も復帰を目指してきたが「あらゆる検査をしたのに原因不明で対処法が見つからず、体の中には今でも簡易型のAED装置が入ったままの状態。お医者さんはもちろん、心配した家族のOKも出なかった」と復帰を断念せざるを得なかった。

「たくさんの先輩後輩、他県の選手たちがお見舞いに来てくれた。競輪が好きだし、辞めてもこの人たちとつながっていたい。競輪に携わる仕事がしたい」という思いから第2の人生を模索。来月から神奈川県内の競輪場で解説者としてデビューすることが内定している。

林は選手間では有名なギャンブラー。ボートレースや競馬にも精通しており、舟券や馬券の買いっぷりが豪快と評判だった。「最近は競輪も選手目線ではなく、予想目線で見るようになった。お客さんの気持ちがよく分かるようになりました」。何事にも研究熱心な彼なら、きっとファンの心をつかむ解説者になってくれるだろう。

昨年12月、退院直後の林を見舞った。そのときの彼の言葉が、ずっと頭から離れない。

「心臓が止まっていた7分間も意識がなかった数日も、えんま様やお花畑は見られませんでした。死んじゃったらつまんないですよ」

そんな体験をした彼だからこそ伝えられることがある。「自分の事故がきっかけで、神奈川の選手会が応急処置の講習会を開いてくれることになった。コロナウイルスの影響で延期になったけれど、企画発案してくれたことがうれしかった。これから僕自身もしっかり勉強していきたい」。命の尊さをかみしめながら、選手の安全にひと役買っていく決意を固めた。【松井律】