競輪、楽しんでいますか?

ガールズケイリン10周年ということで、今年は例年以上にガールズに注目が集まり、彼女たちのボルテージも上がっている気がする。

今回は1期生(102期)の篠崎新純(37=千葉)に聞いた、ガールズ10周年にまつわるこぼれ話を紹介したい。

ガールズが始まるにあたり、ユニホームをどうするか、ということが1つの大きな課題になった。ご存じのファンも多いのかもしれないが、当初、スカート姿で走るという案があったという。篠崎が振り返る。


試作品のユニホームを着用する篠崎新純(右)と田中麻衣美。レーサーパンツの上にスカートを履いている(篠崎提供)
試作品のユニホームを着用する篠崎新純(右)と田中麻衣美。レーサーパンツの上にスカートを履いている(篠崎提供)

「関係者がフレームやディスク(ホイール)など、いろいろ試行錯誤してやっていた時に、ユニホームをどうするか? という問題もあって、女子だからということで、模擬競走で赤いスカートを履いて走ったんですよ。下にレーパン(レーサーパンツ)を履いて、上にスカートなんですが、自転車に乗るとスカートが広がって、前の人も後ろの人も全く見えないんですよ。しかもスカートが広がるからレーパンが丸見えで、“なんだこりゃ!?”という感じでしたね(笑い)。

風の抵抗もすごいし、バタバタ、バタバタと音もすごい。結局、デビュー戦はワンピースのユニホームにボレロの車番というスタイルになりました。

ただ、落車すると一撃で高いワンピースが駄目になるので、すぐに今のツーピースの形になりました。今思えば、10年の間にはいろいろなことがありましたね」


篠崎新純(2022年6月9日撮影)
篠崎新純(2022年6月9日撮影)

ユニホーム以外にも、フレームや部品など決まっていないことが多く、競輪学校(現養成所)入学後も卒業認定タイムやデビュー後のレースの賞金も未定だったという。篠崎が続ける。

「すべてが何もない手探り状態だったけど、みんなが一生懸命やっていました。そんな最中に“3年でガールズケイリンはなくなる”と言われたことがあって、逆にみんなで“絶対に成功させよう”と頑張ってきました。

だから特に1期生はデビューしてからは、自分たちの売り上げを随分、気にしていましたね。

10年続いたことに本当に感謝です。たくさんの方々に支えられてガールズケイリンがあると思っています」

パイオニアならではの苦労、努力、喜び…。同期、特に1期生の絆の強さの理由が少し分かった気がした。【栗田文人】