各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。元競輪選手の山口幸二氏(52)は、現役時代「ヤマコウ」の愛称で親しまれ競輪界最高のKEIRINグランプリを2度優勝。そして、今年デビューした次男の拳矢(24)が、競輪界の超新星として注目を集め、史上初の父子グランプリ制覇の夢がふくらむ。昨年デビューした兄聖矢とともに、期待のホープはいかにして誕生したのか。一家の秘密をヤマコウが語った。

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ヤマコウこと山口氏は、2度GP制覇を達成し、2度目の優勝当時は43歳と史上最高齢V記録だった。12年に引退後、軽妙な話術と鋭い評論で、日刊スポーツやイベントで引退後も活躍中だ。

自身も、父の啓さん(7期)が競輪選手だった2世レーサー。実弟の富生も現役で、兄弟そろってG1を制した。そして血は争えない。山口氏の長男聖矢、次男拳矢も競輪選手としてデビュー。中でも拳矢は次代を担う輪界の注目株だ。

今では珍しい「ザ・昭和の家庭だった」と言う。テレビで自身のレースを見るときは、子どもたちはそろって正座。競輪選手の職業病である腰痛を避けるため、子供をおんぶやだっこすることもなかった。かつて、自身もそうだったように、厳格な父の姿こそ理想像。ただ、輪界の「華麗なる一族」であっても、子どもたちに自転車を勧めたことだけは、1度もなかった。

それでも息子たちは父の背中を追いかけた。「長男が大学4年の時に選手を目指すと言い出して、次男も『アニキがやるなら』って乗り始めた。競輪という選択肢が身近にあったのが大きいと思う。おれも(弟の)富生もそうだった」。

兄は水泳、弟はサッカー経験はあったが、自転車は素人同然。特に、競輪用の自転車にはブレーキがなく、ペダルを前に踏んで加速、後ろに踏んで減速する、特殊な仕様だ。そこで1つ課したのは、基礎を徹底的に覚えることだった。「最初の1カ月、ずっと自転車に乗せただけ。もがく(全力でペダルをこぐ)なんてすぐできない。まず自転車との一体感を覚えないと」。ひたすらフォームを固め、競輪学校(現在の競輪選手養成所)合格タイムを目指した。地道な練習を課した。一方、父も、選手OBとして同じ目線に立つようになった。「小さいころは悪いところばかり指摘していた」という父子の関係は劇的に変化したという。

弟の拳矢は、父譲りの勝負強さと非凡な才能を開花させた。今年5月、新人同士のレースで完全優勝。7月からは、並み居る先輩レーサーを一蹴。競輪界トップのS級へ、デビューから20連勝で駆け上がった。現行制度で無敗でのS級行きは、輪界でも異例のスピード出世だ。

そんな拳矢も、最初からエリートではなかった。競輪学校には兄より1年先に一発合格したが、厳格な規律がある同校で退学処分を受けた。以後、毎月のタイム測定と反省文を提出する日々。腐ることなく熱意を伝えたことで復学が認められ、通常1年のところ、3年かけてデビューした。「再入学できる保証はなかったし、よく頑張ったと思う。あれがあるから今がある」と目尻を下げる。

息子たちの活躍には驚くばかりだという。「次男には競輪がピッタリはまった。おれたちのころは『1つのことを長くやる』のが美徳だったけど、人間何が合っているかわからない。つまり、可能性は無限にある」と語り「今の若い子は、いろんな可能性を探ればいいと思う」と続けた。拳矢の快進撃が目立つが、兄の聖矢も着実に力をつけており「富生も最初は弱かったよ」とエールを送る。そう、可能性は無限大だ。

史上初の父子GP制覇へ周囲の期待がふくらむ。「GPだけは運。まず人として間違ったことをしないでほしい。競輪は人と人のつながりだから」。そう語る表情は、優しい父の顔だった。【山本幸史】

◆山口幸二(やまぐち・こうじ)1968年(昭43)7月29日、岐阜県生まれ。競輪学校62期生として88年9月デビュー。98年G1オールスター、98、11年GP優勝。12年のGPから日刊スポーツ評論家に。通算成績は2040戦397勝、優勝43回。

◆山口聖矢(やまぐち・せいや)1993年(平5)12月23日、岐阜県生まれ。115期生として昨年デビューすると、9連勝でA級2班にわずか5カ月での特別昇班に成功。166センチ、68キロ。血液型O。

◆山口拳矢(やまぐち・けんや)1996年(平8)1月26日、岐阜県生まれ。117期として今年デビューすると、現制度史上タイ記録となるデビュー20連勝を達成。166センチ、70キロ。血液型A。