サッカー日本代表(FIFAランク24位)は12月1日(日本時間2日午前4時)、1次リーグ最終戦でスペイン代表(同7位)と対戦する。森保一監督(54)は11月30日、公式会見に出席した。コスタリカとの第2戦を落とし、勝利で自力突破、敗戦で敗退決定とまさに生きるか死ぬかの戦い。2050年に日本をW杯優勝国にするという大義にささげた4年4カ月。今大会の目標ベスト8への思いを変えず、積み上げたすべてをぶつける。

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力強い笑みが浮かんだ。「この状況を幸せに思う。プレッシャーはなくて。世界の強豪と真剣勝負で戦えることは喜び」。生きるか死ぬかの1戦でスペインを前にしても、気負いはなかった。ドイツの金星からコスタリカの敗戦で称賛も批判も大いに受けた。「過去は変えられない。よかったことも悪かったことも、ポジティブに変換する。喜ばれるのもストレスをぶつけられるのも、すべてうれしい」。どんな言葉も力に変えて、大一番に向かう。

暗闇に、何度もふわっと光がともる。「ピピッ、ピピッ」。真夜中の寝室にも、スマホの通知音が続く。海外試合の選手交代から得点シーン、関係者からの連絡-。そのたびに目を覚まし、確認した。「いいかげんにしてよ」。隣から声をかけてくる妻の笑顔にも支えられた。昼も夜もない4年強の「クレージージョブ」。大詰めのスペイン戦に向けても森保監督は変わらず選手が練習する姿を離れたところから見守った。

勝って舞い上がらず、負けて焦らず。「状況的に周りのボルテージは上がる。私の中では最大限の力をだして勝っていくことに変わりはない」。いつの日もそうだった。W杯アジア最終予選でオマーン、サウジアラビアと敗れ、敗退の危機に陥ったときも。チームスタッフにすら緊張感が走る中、指揮官は変わらなかった。「選手はやってくれる」。どっしり構え、かつ采配は大胆に。土壇場で陣形を変更して連勝街道に乗せた。ドイツ戦もまた、思い切った采配が生きた。

コスタリカ戦は痛恨の敗戦。失点につながったDF吉田主将のクリアミスさえも「前回のW杯をふまえて、チームがレベルアップするにはマイボールを大切にすること。それをぎりぎりまで考えてのミス。要求をよくトライしてくれた」と評価した。日本がW杯で勝っていくために必要な挑戦はすべて自分の責任として受け止め、前を見た。

日本協会が掲げるのは、2050年までのW杯優勝。壮大なミッションのもとで4年強を過ごしてきた。21年9月には主力DF冨安のアーセナル入りを実現させるために、アジア最終予選の招集を見送ったことも。コロナ禍で国際親善試合すら行えず、少しでも戦術浸透を図りたいはずだったが「選手がレベルアップすることが、ひいては日本代表の成長になる」。自身の実績にもなる、目の前の勝利も必要。ただ、目線はずっと先にある。今大会の26人は、戦力の充実とともに世代交代の布石も打った。東京五輪世代も兼任しドイツ、スペインと勝負できる戦力を整えた自負がある。

W杯優勝経験のある2カ国との対戦が決まった4月。日本にとって死の組だと騒がれる中、つぶやいた。「もしサッカーの神様がいるのなら、これは神様からのプレゼントですね」。W杯での真剣勝負で、日本は確実に強くなれる。捨て石になるつもりもない。強豪相手に勝利を目指せることを、心から喜んでいた。

そしてドイツには勝った。歴史的金星も、50年の優勝から逆算すれば、今大会で8強進出という目標は変わらない。負傷者は出ているが、コロナ禍でアクシデントだらけの4年強を過ごしたから動じない。「スペインに勝って、超えていきたい」。行雲流水、腹はくくった。2度目の奇跡を起こす。【岡崎悠利】

〇…森保監督はスペイン戦に向け「全員練習ができる状態」と語り、左太もも痛で離脱していたDF酒井、右膝痛で欠場が濃厚なMF遠藤もトレーニングには参加できるとした。DF冨安はすでに全体練習に合流も万全ではなく、出場は微妙な状況。センターバックは東京五輪で対戦したときと同じ板倉と吉田のコンビになりそうだ。指揮官は「普段やっている力を100%出してくれれば、結果はついてくる。思い切ってプレーしてほしい」と語った。

◆森保一(もりやす・はじめ)1968年(昭43)8月23日、掛川市生まれ。長崎日大高から87年にマツダ(現広島)入り。守備的MFとして京都、仙台でもプレー。J1通算293試合15得点、国際Aマッチ通算35試合1得点。03年に引退、04年に指導者転身。12年から広島の監督として3度のJ1制覇。17年10月に東京五輪代表監督。18年7月に五輪と兼任でA代表監督。家族は夫人と3男。愛称「ポイチ」。174センチ。