日曜日の「ニッカンジュニア」には本紙評論家のセルジオ越後氏(73)が登場します。ある時はサッカー解説同様に辛口で、ある時はサッカー教室で子供たちと接した経験から温かい目で、人を育てることを語ります。子育て世代や指導者へのメッセージ-。温故知新の“オヤジ目線”も、ブラジル育ちで世界のサッカーを知る国際感覚も、新たなヒントを生み出してくれることでしょう。第1回は「社会教育」について。
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世の中は急速に発展し、子供だけでなく我々を取り巻く環境は日々変わっています。僕らが育った時代とも、今の「子育て世代」が育った時代とも違う。さまざまなことが豊かに、便利になった。一方で、僕が寂しく思うことの1つが「社会教育」が崩壊していく流れです。
近所の人に会ったらあいさつする。いたずらをして近所のおじさんに怒られることもあれば、落とし物を拾っておばさんに褒められることもある。子供同士でも年上の子が年下の子の面倒を見る。地域の大人が地域の子供を育てる。そんないい習慣が日本にもあったはずです。その身近な日常の中で「他人から教えられること、注意されて学ぶこと」という、社会教育が欠如しつつあります。
いわゆる近所づきあいが少なくなったり、デジタル機器が増えたことなどで、みんなが個人主義になってきたんですね。以前は子供が家の中に引きこもっていると、親は心配したものですが、今は「独り遊びができる」が「自立している」と映る場面もあります。
人と直接対する機会も減少した。親が子供に「知らないおじさんと話してはいけません」と言う。世間にはいいおじさんも悪いおじさんもいて、悪いおじさんの方が少ないはずなのに「危ないから」と接触を心配する。父親だって家から1歩出れば「おじさんの1人」なのにね。
大人も同じです。知らない人と会話する必要が少なくなった。スマホさえあれば、交差点で人に道を尋ねることもない。カラオケは個室で、仲間うちとだけ。金もうけのためのイベントは多いけど、地元のお祭りや餅つきといった交流のためのイベントは少なくなったようです。自分の子供にしか興味を抱かないケースもある。運動会でもサッカー教室でも、自分の子しか見ていない。見ているというより、撮影しているだけ? 他の子供や他の学年の動きを見ていないから、家に帰ってからも子供と話が合わないのです。
昔、僕がマンションに住んでいた時、下の階の奥さんが「お宅の子の足音がうるさくて、娘のピアノの練習の邪魔になります」と言ってきました。娘さんはピアノを始めたばかりで、とうてい“音楽”ではない段階です。僕は「お宅の娘さんの演奏がうまくなるまで我慢するから、そっちも我慢してよ」と答えました。こんなことはどこでもあったことでしょう。
今は「子供の声がうるさい」と、児童施設をつくることに近隣住民が反対する話も聞きます。元気な子供の笑い声を邪魔に思うなんて、切ないことですね。きっと、他人に関心がないのでしょう。他人の子に口を出さない。他人に口を出させない…。助け合う、譲り合う、支え合うという意識が希薄になった日本は、僕の目には「国民の結束力が希薄になった」とさえ映ります。これでは将来、他国と協調したり、渡り合ったりしていけるのか? とも思います。
そんな中、スポーツは人との出会いの場であり、ふれあいの場になり得ます。日本では選手や勝敗といった「フィールド」ばかりが重視されがちですが、本当の美しさは「スタンド」にある。共通のチームを応援することをきっかけに、背景や世代を超えた人間関係やコミュニティーが育つ要素があります。
僕がシニア・ディレクターを務めるアイスホッケーの栃木日光アイスバックスのスタンドもそうです。試合の日には知らない者同士が集まって友だちになる。あの席に行けば、あの人たちに会える。何度も顔を合わせるうちに、子供は大人にあいさつをし、大人は子供を守る。ハロウィーンの渋谷のバカ騒ぎとは違います。いわゆるファミリーになって、とても安全な場所になる。こうした中には、まだ「社会教育」は存在します。同級生とメールばかりしていては得るものに限界がある。年上の人と接することで、成長が促されると思うのです。
◆セルジオ越後 ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世で18歳で同国名門コリンチャンスとプロ契約。ブラジル代表候補にもなった。72年に来日し、藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。「エラシコ」と呼ばれるフェイントの発案者とされる。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。17年旭日双光章を受章。HC栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。