オッギーのOh!Olympic
荻島弘一編集委員が日々の話題、トピックスを取り上げる社会派コラム。これまでの取 材経験を絡め、批評や感じたことを鋭く切り込む。

◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)9月22日、東京都生まれ。84年に入社し、整理部を経てスポーツ部。五輪、サッカー などを取材し、96年からデスクとなる。出版社編集長を経て、05年に編集委員として現場の取材に戻る。
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女子アイスホッケー未来のための残り2試合

 アイスホッケー女子日本代表が、順位決定予備選に回った。チーム目標の「メダル獲得」どころか、1勝もできずに1次リーグ3戦全敗。ただ、戦いぶりは悪くなかった。ドイツ戦は動きが鈍かったが、スウェーデン戦、ロシア戦は開始早々から全員でプレッシャーをかけ、試合終了まで走り続けた。「日本のホッケーをする」目標は達成した。

 もともと、メダル獲得は高い目標だった。日本の世界ランクは10位。8カ国だけの五輪出場権を獲得しただけでも、偉業だった。さらに、特殊な試合形式。世界ランク上位4カ国と下位4カ国に分かれてリーグ戦を行い、下位リーグの上位2カ国が上位リーグの下位2カ国と準々決勝で対戦する。勝ったほうが、すでに準決勝進出を決めている上位リーグの1位カナダと2位米国に挑戦する。ランク下位国にとって、メダルまでの道のりは険しい。

 それでも、スマイルジャパンの選手たちは話し合って「メダル」を目標に掲げた。ただ、飯塚祐司監督は「選手は誰もメダルをとるイメージができていない」とも話していた。無理もない。五輪は開催国として出場した98年長野大会以来で予選突破は初。飯塚監督も「ほとんど五輪初体験ですから」とも話していた。

 サッカー女子代表、なでしこジャパンの20年前を思い出す。選手たちは「これまで女子サッカーを引っ張ってきた先人のため」「これから女子サッカーをする子どもたちのため」の思いで世界に挑んだ。スマイルジャパンも五輪前、同じように話していた。女子アイスホッケーの過去に感謝し、未来を夢見ていた。

 恵まれない環境が話題になったのも同じ。アルバイトをしながら夜遅くまで練習する選手たちの姿は、少し前の女子サッカー日本代表選手の姿だった。FW久保英恵は、なでしこのMF澤穂希の活躍に刺激を受けて現役復帰した。「私たちも、なでしこのように」の思いがあったからだ。

 初めて出場した96年アトランタ大会、なでしこは3戦全敗だった。金メダルは米国、銀は中国、日本との差は歴然で、勝つことは不可能にも思えた。しかし、それから15年後、W杯で優勝した。翌年のロンドン五輪でも銀メダルに輝いた。

 飯塚監督は「なでしこと同じように、我々も1歩1歩です。だから、このソチが大切なんです」と、出発前の壮行会後に話した。勝つことは難しいかもしれない。だからこそ次につながる試合がしたいと。

 スマイルジャパンはスウェーデン、ロシアの強豪と1点差の接戦を演じた。負けたけれど「組織的で運動量も豊富」と評価された。96年のなでしこジャパンと同じように「組織」と「運動量」が認められたのだ。

 残る2試合、メダルはないが、思い切り「日本のホッケー」をしてほしい。先人たちのために、後に続く子どもたちのために、そして女子アイスホッケーのために。選手たちに強い気持ちがあれば、そして周囲の後押しがあれば、「スマイルジャパン」が「なでしこジャパン」に続くことも決して不可能ではない。




日本のメダル数

金メダル
1
銀メダル
4
銅メダル
3

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