00年シドニーオリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。

死因は肺炎。3月下旬から入院し、一時の危篤状態から回復の兆しを見せていたが、容体が急変した。3月末には指導の第一線から退いていた。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

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平成の終わりまであと1週間。平成の陸上界を彩った名伯楽が亡くなった。3月26日に千葉・佐倉市内の自宅で倒れ、千葉・浦安市内の病院へ救急搬送された。一時は危篤状態に陥り、集中治療室(ICU)で処置を受けていた。笑いながら「あと2、3日だな」と口にしていたという。死期を悟ってか「俺、入院しているから」などと教え子らに電話をかけていたという。その後は回復の兆しを見せていたが、23日夜から容体が急変。午前8時5分に帰らぬ人となった。死因は肺炎だった。午後3時すぎ、亡きがらは千葉・佐倉市内の自宅に運ばれた。近所の住民ら弔問客が訪れた。

近年は入退院を繰り返していた。手術した心臓にはペースメーカーを入れ、肝臓、腎臓も弱っていたが、現場に強いこだわりを持っていた。3月10月の名古屋ウィメンズマラソンにも姿があった。自身が代表を務める佐倉アスリート倶楽部は3月末、実業団ユニバーサルエンターテインメントとの指導業務の委託契約が満了。同時に指導の第一線も退いた。それからわずか24日後の訃報。まさに現場に生きた指導者だった。入院前、親族には「いい人生だったな」と話していたという。

千葉・佐倉市出身。順大を卒業後、千葉県内の公立高校の教員となった。86年には市船橋高を全国高校駅伝優勝(男子)に導いた。88年に教師を辞め、実業団選手を指導するようになった。素材を見抜く力にたけ、選手の心をつかむ、褒めて伸ばす指導で多くのレジェンドを育てた。猛練習だけでなく、日本でいち早く高地トレーニングも導入するなど、科学的な視点も持ち合わせていた。五輪で女子マラソン初の金メダルを獲得した高橋尚子さんら育てた。92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の有森裕子さん、97年世界選手権金の鈴木博美さん、03年世界選手権銅メダルの千葉真子さんらも教え子だ。

まさに女子マラソン界の歴史と常識を塗りかえてきた平成の名伯楽。野武士のような風貌でも人気を博した。平成の時代をまっとうし、令和の前に天国へ旅だった。

◆小出義雄(こいで・よしお)1939年(昭14)4月15日、千葉県佐倉市生まれ。千葉・山武農高(現大網高)を出て一度は家業を継ぐなど働いた後、順大に進んで箱根駅伝に3度出場。千葉県の佐倉高や市立船橋高などで教員を務めてから88年に実業団のリクルートの監督に就任。97年に積水化学女子陸上部監督に就任。01年6月に佐倉アスリート倶楽部(AC)を設立し代表取締役兼監督に就任。02年12月に積水化学を退社し、佐倉ACに籍を置き、ユニバーサルエンターテインメントなどで指導していた。