94年リレハンメル五輪女子シングルはトーニャ・ハーディング(米国=当時23)の独り舞台のようだった。ナンシー・ケリガン(同=当時24)襲撃事件を画策した疑いをまとったまま臨み、2月23日のテクニカル(現ショート)プログラムで10位と出遅れる。メダルを狙って臨んだ2日後のフリーでまた“事件”が起こった。

 名前をコールされてもハーディングはバックステージから現れない。スケート靴のひもを必死で調整する様子が会場に映し出される。失格ぎりぎりでリンクに登場したが、最初のトリプルルッツに失敗すると突如泣きだして演技を中断。リンクのフェンスに右足をのせ、ジャッジにひもの不具合を訴えた。やり直しが認められてグループ最後に再登場し、今度は笑顔で演技を終えたが、得点は伸びず総合8位。一方のケリガンはテクニカル1位から順位を落としたものの銀メダルを獲得した。

 ハーディングは五輪の雪辱を期して3月の世界選手権(千葉・幕張メッセ)出場を表明した。しかし、日本出発直前の3月16日に突然、検察当局との司法取引に応じる。元夫らの襲撃事件を直後に知りながら通報しなかった捜査妨害の罪を認め、保護観察3年、500時間の奉仕活動、罰金などを受け入れた。検察側も襲撃に直接関与した決定的な物証を得られず、立件を断念せざるを得なかった。

 ハーディングは刑務所入りを逃れたが、94年全米選手権優勝、99年までの大会出場権、コーチになる権利などを失った。1月6日のケリガン襲撃に始まり、世界中の耳目を集めた大スキャンダルは、結局真相にたどり着けないまま一応の決着を迎えた。

 「悲劇のヒロイン」ケリガンはその後、プロスケーターや解説者として活躍し、結婚して子どもにも恵まれた。「悪役」ハーディングは全日本女子プロレスの2億円オファーを拒否。歌手、女優、プロスケーター、プロボクサー、総合格闘家などへの転身を図ったが成功しなかった。その間、恋人への暴行容疑で逮捕されるなど、変わらぬトラブルメーカーぶりで世間を騒がせ続けた。(敬称略)【小堀泰男】


靴ひもが短すぎて演技が出来ないと泣きながら審判の元にかけよったハーディングは足を柵に掛け審議を受ける
靴ひもが短すぎて演技が出来ないと泣きながら審判の元にかけよったハーディングは足を柵に掛け審議を受ける
ケリガンVSハーディング
ケリガンVSハーディング