青学大の独壇場だった。優勝争いの興味は薄れ、大きな波乱もなかったが、見応えはあった。十分な貯金がありながら、青学大の復路のランナーたちが守りに入らず、記録という目標に向かって、最後まで攻め続けたからだ。これはできるようで、できない。だから強いのだと納得した。彼らの走りを見て、何だか力がわいてくるようだった。

懸命に自分を燃やし尽くそうと走る選手たちに、今年もジンときた。視力にハンディを抱える創価大の嶋津雄大は、6人抜きの力走で4区区間賞。自分の限界を突き破って、限界に挑んだ。駿河台大の今井隆生は最下位でタスキをつないだ直後に号泣した。31歳。教員を休職して箱根駅伝に人生をかけたという。涙の真意は本人にしか分からないが、想像はできた。あらためて、選手の数だけドラマがあるのだと思った。勝者には祝福を、そして敗者も温かくたたえたい。

89年に日本テレビが箱根山中からの中継を成功させて、レースを完全中継するようになり、箱根駅伝は大学関係者や陸上競技ファンの枠を超えて、全国的な人気イベントになった。帰省して家でテレビを見る人が多い正月休みという開催日程も後押しして、近年は視聴率30%を超える冬の風物詩として定着した。ただそれだけでは、人を引き付けてやまない理由は説明しきれない。

200キロ超もの距離を、たった10人でひたすらタスキをつなぐ。仲間やOBたちの思いも背負って走る。だから自分の力以上のものが出せるし、気負って失敗もする。そんなむきだしになる生身の人間ドラマが、どこか人生にも似ていて、つい引き込まれるのだ。そこには日本人が好むといわれる責任感、連帯感、信頼感のすべてが詰まっている。だから琴線を揺さぶられるのかもしれない。

30年ほど前に取材した山梨学院大の上田誠仁監督(当時)の言葉を思い出した。「何も咲かない寒い日は、下へ下へと、根を伸ばせ」。箱根で走るたった1時間の中には、つらく過酷な1年間が凝縮されている。彼らは仲間と肩を寄せ合い、ただ走ることだけで心と体を磨き、一体感を高める。効率化に自己責任、格差社会といった人とのつながりを分断するような言葉が幅を利かせる時代に、それはどこか懐かしく、新鮮に映る。

真っ青な空の下、湘南海岸沿いを走っていた青学大の8区佐藤一世の背中に、真っ白な雪をまとった富士山がテレビ画面に映しだされて、ハッとした。何と美しく、平和な光景だろう。コロナ禍で世界中が窮屈な生活を強いられている中、思う存分スポーツができて、選手を応援できる。何だか幸福で温かい心持ちになった。今年もおだやかな1年でありますように。その画面に向かって私は思わずそう祈った。【首藤正徳】

駿河台大4区今井(左)は小田原中継所で5区永井にたすきを渡す(22年1月2日撮影)
駿河台大4区今井(左)は小田原中継所で5区永井にたすきを渡す(22年1月2日撮影)