クリームソーダに誘われて、銅メダルまでたどりついた。

 カーリング女子で日本勢初の銅メダルを獲得したLS北見。セカンド鈴木夕湖(26)は、日本選手団最小の身長146センチ。自己アピールで「小さいけど、パワフル」という力強いスイープで仲間を助けた。「もぐもぐタイム」では「今日はいちごで当たり。韓国のいちごはびっくりするぐらいおいしい」という周囲には、笑顔が絶えない。

 鈴木は小2の時、常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治さん(享年88)に、吉田知ら同級生6人で競技に誘われた。スケートの経験もなかったため「最初は私の体重が石(20キロ)ぐらいだったのでただ滑るだけ。あそこまで滑ったら『アイスを買ってあげるよ』みたいな。カフェに小学生とおじいちゃん(小栗さん)がいてアイスを食べるという感じでした」。

 練習帰りに、近所のカフェ「しゃべりたい」に寄って、名物の「流氷ソーダ」を食べるのが楽しみだった。常呂中時代には吉田知らとのチーム「ロビンズ」で、06年にトリノ五輪帰りのチーム青森から大金星を挙げて話題になった。当時、チーム青森の一員だった20歳の本橋から「やるねえ」とほめられている。

 それでもオリンピックは考えてなかった。「夢のまた夢みたいな。背も小さい(146センチ)し、世界ジュニアとか出てない。(将来の希望も)なかったですね。特になくて、今を生きようと」と笑って振り返る。

 大学卒で「網走信用金庫」に入社した。競技と両立を目指していたが「仕事でとんでもないミスをして。信用金庫の人は仕事をちゃんとやっているのに…。そういう気持ちで仕事をするのは申し訳ないなと思った」と、わずか半年で退職した。その後は、図書館で、町内運動会の昔の写真をスキャンして、データ化するアルバイトをしていた。

 「裏方で。小野寺(亮二)コーチの若い頃の写真とか出てきて。(実質)半年間ニートだったです。大した選手じゃなかったし、マリちゃん(本橋)に誘われなければ、辞めていた」

 鈴木はメダル授与式で、銅メダルをかけられて「でかい! 重い!」とうれしそうに大声を出した。本橋、吉田知にとっても恩人だった小栗さんは昨年、亡くなった。鈴木は「小栗さんに感謝にしています。ここまでやってこられて、よかった」。

 きっと天国でもクリームソーダを前にして、喜んでくれているはずだ。【益田一弘】