「小さい子だな」-。初めて宮里藍と会った日を、小田美奈(42)は覚えている。当時は兄聖志のキャディーをしていた。目のキラキラした女子高生が近づいてきて、言った。「兄がお世話になっています」。礼儀正しい姿に、厳しいしつけをされてきたのだと感じた。だが、まさかこの背の小さな少女と一緒に、エースキャディーとして1年半の短期間で10勝を挙げるなど思いもしなかった。

 宮里は繊細だった。印象的な涙がある。初めてバッグを担いだのが04年6月のサントリー・レディース。いきなり優勝した。それから1年後の同大会でのこと。兵庫・ジャパンメモリアルGCの9番ホール。グリーン上で涙をため、宮里は動かなかった。近づくと「パットが打てないです」と小さな声で絞り出した。たくさんのギャラリーが注目し、無数のシャッター音が響く。音と光、大勢が動く影と歓声…。それらが気になりパターが打てなくなった。

 「カメラを止めてください!」

 小田は大声で怒鳴った。

 活躍をすればするほど、女子ゴルフ界の人気は沸騰し、観衆も増えた。脚光を浴びる一方で、重くのしかかる重圧と、見えない苦悩。宮里は光と影のはざまで苦しんでいた。小田は「何度もギャラリーに泣かされました。その時は、私が悪者になればいいと思っていた。私が(観衆に)怒れば、藍ちゃんは『そんなに言わなくても…』と冷静になれるから」と振り返った。

 05年11月に大王製紙エリエール・レディースで2連覇するまで、小田とのコンビで第1回W杯を含め10勝した。その直前には日本女子オープンも制し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。だが、米ツアーへの本格参戦が決まっていたその頃。宮里は周囲に漏らしていた。

 「モチベーションを維持するのが難しいです…」

 夢だったはずの米ツアー参戦が決まっても、深い葛藤を抱えていた。それは引退を決断するまで、心の奥底から消えることはなかった。(敬称略)【益子浩一】