まさにパーフェクトな勝ちっぷりだ。宮里優作(37=フリー)が3バーディー、ノーボギーの68で回り、通算22アンダーの262で今季3勝目、ツアー通算6勝目を挙げた。第1日から首位を守る完全V。さらに資料が残る85年以降では初めてとなる、1大会ボギーなしでの優勝だった。賞金ランクもトップに返り咲き、選手会長を務めながらの賞金王というツアー史上初の快挙へ突き進む。

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 9番でボギーを覚悟した。段を上る20メートルのファーストパットが3メートルもオーバー。返しのパーパットをねじ込み、宮里優は思わずつぶやいた。「何でだろう。いっぱいいっぱいになってきた」。優勝の流れは揺るぎないのに、息苦しさが消えない。記録の重圧は予想以上だった。「途中からボギーを打たないようにゴルフをしている自分がいて、これじゃダメだと」。開き直り、何とかしのぎきった。

 「ボギーもバーディーも多いのが僕のゴルフなのに」と笑う。ゴルフをしている小学3年の長女は父の成績チェックが日課で「(ボギーを示す)△が多い」とダメ出しをされることも少なくない。その愛娘に「やればできるじゃん」と褒めてもらった第1日「61」から勢いは衰えなかった。日本ゴルフツアー機構の青木功会長にハッパを掛けられていた。「お前は余裕があると、途中でアクセルを緩める時がある。ずっと踏みっぱなしでいろ。40アンダーを目指していけ」。一切の隙を見せず、応えてみせた。

 5月の2戦連続V後に変化があった。全米、全英オープンで苦しみ、クラブを一新。「トップ選手のセッティングが易しくなってきているのを目の当たりにした」。松山英樹をはじめ、米ツアー選手のバッグをつぶさに観察した。より扱いが難しい、小ぶりなヘッドを好んでいたアイアンは「真逆」のタイプに変更。シーズン途中では替えづらいボールも例外ではなく「年齢を重ねて、ある程度、クラブとボールの恩恵を受けることも大事」。いい意味で道具に頼る領域を増やした。例年不安を抱えるパットは「左足に体重を乗せたまま軸を作って打つ」スタイルで手応えをつかんだ。

 5月に妹藍さんが引退を表明、8月には父優さんが倒れた。自らのプレーとは関係ない部分でコメントを求められることが増えても「宮里家の露出が少なくなっている分、僕が頑張らないといけない」。持ち前の明るさで笑い飛ばしてきた。「いろいろ試された中で打ちかった今日のノーボギー。こういうゴルフもできるんだと自信になった」。初の賞金王へ大きな1勝となった。【亀山泰宏】

 

 ◆宮里優作(みやざと・ゆうさく)1980年(昭55)6月19日、沖縄県生まれ。宮里3きょうだい(兄聖志、妹藍)の次男として、父優さんの指導で3歳からゴルフを始める。01年日本アマ優勝、日本学生は00年から3連覇。大阪桐蔭高を経て進んだ東北福祉大在学中からプロツアーに出場。03年にプロデビューし、16度目の最終日最終組となった13年日本シリーズJT杯で初優勝。ツアー通算6勝。16年からは選手会長も務める。170センチ、70キロ。