夢が現実になった。マスターズで松山英樹が日本男子初のメジャー制覇を成し遂げた。松山にとって念願だった勝利は、日本のスポーツ界にとっても快挙。さまざまな人物、側面から「夢のマスターズ 日本人初V!!」と題した連載で、この偉業に迫る。

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松山の快挙から、早くも2週間余り。彼を最初に取材したのはいつだったか、ずっと考えていた。それは、兵庫・ABCGCで行われた08年秋のマイナビABC選手権。明徳義塾高2年だった松山は、全国高校ゴルフ選手権優勝によって出場権を得ていた。その前年に同学年の石川遼が15歳でツアー初出場初優勝したこともあり、国内ツアーの他の主催者もジュニア枠を設けて、出場チャンスを与えていた時期でもあった。

当時、同世代の先頭を突っ走っていた石川は「ジュニア同士で優勝を争いたい」と語っていた。マイナビABCの練習日も、石川は松山や1学年下の今平周吾らとプレー。刺激十分に臨んだ試合本番では、見事にプロ転向後のツアー初優勝を飾っている。一方の松山は予選落ちに終わったが、プロツアー初出場というかけがえのない体験をした。それは、後に賞金王となる今平も同じだっただろう。

そんなことを振り返っていると、日本ゴルフ史に起こったさまざまな出来事が、松山のマスターズ制覇につながっていたのだと実感する。石川は幼少時に観戦した試合で尾崎将司にサインをもらって感激し、松山も子供のころに青木功や中嶋常幸の練習を間近で見て、プロのすごさを知ったという。日本人がマスターズに初挑戦してから85年。AONら先人たちが紡いできた歴史の延長線上に松山がいて、ついに日本ゴルフ界の悲願をかなえたのだ。

優勝直後、松山は日本の子供たちへ向けて言った。

「やっと日本人でもできるってことが分かったと思うんで、僕もまだまだ頑張ると思うんで、メジャーを目指して頑張ってもらいたいなと思ってます」

多くの少年少女ゴルファーは「次は僕が」「私が…」と奮い立ったことだろう。ジュニアゴルフ経験者の僕も思わず泣いてしまったが、今は違う感情が沸いている。子供たちが抱いた夢を広げていくのは、我々大人の責任ではないか、と。

コロナ禍にあって、アウトドアで密にならないゴルフは人気上昇中なのは確かだが、子供が気軽にクラブを手にできるかといえば、まだまだ疑問符がつく。ジュニアのプレー代削減や練習環境整備はもちろん、誰もが楽しめるスポーツとして愛されるために、何を改善するべきか。松山の偉業は、ゴルフ界を見つめ直す最高の契機になるかもしれない。【01、03、05、07、09、11年マスターズ取材=元ゴルフ担当木村有三】

(おわり)