近代五種とフェンシングの二刀流で20年東京オリンピック(五輪)を目指す才藤歩夢(23=マイナビ)は、1350点で初優勝を飾ったが、東京五輪代表の道は消滅した。

全日本女王の称号を手にした23歳は試合後、「優勝はすごくうれしい」と笑顔を浮かべながらも、複雑な心境を打ち明けた。「しょうがないかもしれないけど、全日本を優勝したからには(国際大会派遣に)選んでもらいたい気持ちもある。近代五種なので(馬術を除く)4種目の選考システムというのは…。正直、馬術も入れてほしい」。

今大会は、来年6月末までの東京五輪代表選考会を兼ねるW杯などの国際大会に出場する日本代表を選出する重要な位置づけだった。これまでの実績から、16年リオ五輪代表の朝長なつ美(警視庁)ら3選手の派遣は既に決まっており、「残り1枠」を争った。

日本協会は、馬術を除いた4種目(競泳、フェンシング、射撃&ランニング)の上位者に残り1枠を与える選考基準を定めていた。馬術の馬は抽選で決まり、その時の運などもあるため選考対象種目から外された。そのため、1331点で2位の桑名知可子(自衛隊)が、馬術を除くと1ポイント差で才藤に勝り、東京五輪代表につながる残り1枠を獲得した。日本協会関係者によると、1ポイントは、射撃&ランニングで「1、2秒の差」という。

才藤は88年ソウル五輪代表で12年ロンドン五輪代表監督の浩さんを父に持つ。「世界で通用する選手になり、五輪に出場して父を超えたい」と目標を掲げていた。中学時代は陸上部に所属し、埼玉栄高で本格的にフェンシングを始めた。早大では、フェンシング部に所属しながら近代五種に取り組んだ。今春から社会人になり、夢舞台を目指して競技に専念した。今夏には、ケニアで高地トレーニング(標高約2400メートル)などを敢行し、課題のランニングの強化を図った。167センチの容姿端麗のアスリートは「1ポイント」に泣き、近代五種での五輪出場は24年パリ大会に持ち越しとなった。