高校アイスホッケーの古豪、苫小牧東が“田中イズム”で復権ののろしを上げる。今春にOB田中渓也監督(32)が就任。祖父の故正さん(享年89)は同校で全国総体10度の優勝を成し遂げ、前監督で今年3月まで13年間率いた正靖さん(63)は08年に全国準優勝。3世代にわたって継がれる思いを胸に、14人の部員とともに半世紀ぶりの全国制覇を目指す戦いが始まる。

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祖父から父へ、父から子へ-。68年を最後に遠ざかる全国の頂点を再び目指す。母校・苫小牧東に今春赴任したOB田中監督の言葉には信念がこもる。「東高として譲っちゃいけないところを大切にしたい。負けて良いチームではないんだと」。高校時代は2、3年で全国準優勝した。父正靖前監督からバトンを受け取って半年。就任後、2大会目となる南北海道高校大会(10月1日開幕)で初白星を挙げ、その先の全国総体へとつなげる。

「氷上の闘魂譜」。同校を35年率いて10度の全国制覇を果たした祖父正さんが編さんした同部50年史は、そう名付けられた。その中で正さんは52年第1回から3連覇後に6年間全国制覇を逃した時期にふれ「私は面白くない。持ち前の『負けん気』がムクムクと頭をもたげた」と述懐している。勝負へのこだわり。その思いは脈々と受け継がれてきた。

「できない、仕方ない、これぐらいでいいかと思っちゃうところを祖父は徹底してやった」。人づてに正さんの指導者の側面を聞いた田中監督もその思いは一緒だ。自身が高2だった06年。全道初戦敗退も地元枠で出場した全国で19年ぶりに決勝進出。19人の部員の「奇跡の敗者復活劇」の経験こそが原点だ。部員14人と現チームも他校と比べ戦力差はある。それでも「努力次第、工夫次第でなんとかなる」と繰り返し伝える。

昨年5年ぶりに全国8強になったチームを率いる仲見颯太主将(3年)も「目標は全国優勝」と言い切る。新体制初陣だった25日のNHK杯争奪高校大会の北海道栄戦は序盤リードも3-5で敗戦。翌日のミーティングでは「人数が少ない中でどうやって勝っていくかを話し合った」。環境、設備、部員数。条件が違うのは当たり前。言い訳をする気はない。

「優勝が土産だ」。高3の全国大会前に正さんからもらった手紙を今も大事にする田中監督は言う。「僕は諦めが悪い。全国優勝が目標。今度は教員として」。頂点へ。氷上で闘う魂を持った戦士とともに挑み続ける。【浅水友輝】

○…07年に就任した正靖前監督は、正さんと親子鷹でプレーした母校の伝統復活に心血を注いだ。生徒手帳にも載る同部の応援歌や祝勝歌を試合前後に歌う習慣を再開し、13年間の指導で部の精神をたたき込んだ。再興への思いは長男渓也に託す。25日の初陣をリンク外で見届け「組織だって守っている姿はよく見えた。(渓也には)自分の思い通りにやってほしい。1年1年を大切にしてもらいたい」と話した。

◆苫小牧東アイスホッケー部 1937年12月に部員14人で創部。50年に就任した田中正監督のもと全国総体では52年の第1回大会から3連覇。7年ぶり4度目の優勝を遂げた61年第10回大会から5連覇を達成し、計10度優勝している。最後の優勝は68年。準優勝は06~08年の3年連続を含む12度。実業団入りした卒業生は100人以上で、主なOBに女子競技の普及に尽力し日本人2人目の国際連盟殿堂入りした河渕務や98年長野五輪出場の岩崎伸一、OGに18年平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)女子代表主将の大沢ちほらがいる。

◆田中親子3代 初代苫小牧市長の田中正太郎を父に持つ正は本格的な競技経験はなかったが、50年から85年まで苫小牧東の監督を務め、その間に全国高体連アイスホッケー委員長を30年間務めた。同校で正の指導を受けた次男正靖は、卒業後は早大で主将まで務めた。07年4月に母校に就任し、翌08年に全国準優勝した。同校で06、07年全国準優勝した渓也は卒業後に日大でプレー。13年に教員となり、羅臼、伊達緑丘を経て、今年4月に赴任。現在も苫小牧市内のチームで現役を続けながら指導にあたる。

◆全国高校総体アイスホッケー優勝校 最多は31度の駒大苫小牧。64年創部で72年に初優勝、94~02年に9連覇を達成している。私立強豪校の台頭で、10度優勝の苫小牧東は68年、7度優勝の苫小牧工は78年が最後の優勝。公立校の優勝は93年の釧路江南が最後。ほかの道勢優勝は白樺学園6度、釧路工4度、武修館3度、釧路湖陵2度など。69回を数える大会の歴史の中で道外勢の優勝は4度のみで、全て日光(栃木、現日光明峰)。