元7人制ラグビー女子日本代表の桑井亜乃さん(31)が新たな挑戦をスタートさせた。クラブチームのアルカス熊谷で活躍してきたが、今年8月で現役を引退し、レフェリーとして24年パリオリンピック(五輪)を目指すことを宣言した。同種目が初実施された16年リオデジャネイロ五輪で日本初トライを決めた元代表FWは、“世界初”の選手とレフェリーの両方での五輪出場を目指す。

桑井さんが新たな夢へのトライをスタートさせた。24年パリ五輪を目指すことを決意した。選手ではなく、レフェリーとして。8月31日、自身のSNSで現役引退を発表した。12年から21年までの9シーズン過ごしたラグビー人生を、1日1年ずつ振り返る投稿を10日前からしてカウントダウン。そして最後の日につづった。「次はレフェリーでパリ五輪を目指します」。次の目標を掲げた。

陸上から転向し、16年リオデジャネイロ五輪に日本代表として出場した。7人制ラグビーが初採用された大会でサクラセブンズの初トライを決めた。171センチの長身FWは日本のラグビー史に名前を刻んだ。自国開催の東京五輪も目指していた。直前まで候補合宿には参加していたが、夢はかなわなかった。もともと東京五輪を選手生活の区切りと考えていた。

体力の限界を感じた。6月に東京五輪代表入りを逃しても、練習を続けた。ウイメンズセブンズシリーズ(5~6月)の大会中、タックルした際に右頬骨が2カ所折れてもプレーを最終戦まで続けた。終わって感じた。「やり切ったな」。弱みを見せたくないため、ケガをしても「痛い」と言えず、ストレスで吐き気に襲われたこともあった。「少し寂しい気持ちはあるけど、自分でここまでよくやったよって思った」。

ジャージーを脱いでも、ラグビーに関わる仕事を続けたかった。日本協会関係者からレフェリーの道をすすめられ、思わず聞いた。「五輪の可能性はありますか?」。新たな目標との出会いだった。すでにC級の資格を取得しており、国際試合に必要なA級を急ピッチで目指す。

選手時代はジャッジに疑問を持つこともあったが、実際に笛を吹いてみて、その判断の難しさを知る日々。3年後のパリ五輪へは3年を切っており、本番で世界中から選ばれる人数が少ないため、厳しい道のりと理解している。それでも「すごい世界に飛び込んでしまったと感じているけど、ワクワクする」と笑顔だ。【保坂果那】

◆ラグビーのレフェリー 今夏の東京五輪では12カ国22人(女子8人)のマッチオフィシャル陣が、国際競技連盟のワールドラグビー(WR)によって選出された。パフォーマンスやフィットネスで選定。国の代表経験のある元選手は5人だった。日本からは橋元教明レフェリーが選ばれた。日本協会公認資格はA級、A1級、A2級、女子A級、B級、C級を定めており、国際試合を担当するには、AまたはA1級が必要。

◆桑井亜乃(くわい・あの)1989年(平元)10月20日、幕別町生まれ。幕別小1年から中京大まで陸上に打ち込む。主に円盤投げ。卒業後の12年4月にラグビーを本格的に始め、13年1月に7人制日本代表メンバー初選出。同4月に立正大大学院に入学し、クラブチームのアルカス熊谷入り。卒業後の15年4月から百貨店の八木橋に勤務。代表32キャップ。引退後はフリーランスとして活動している。家族は両親と姉2人。