フィギュアスケートの世界選手権(21~27日、モンペリエ)に初出場する高校1年生がいる。

男子で全日本ジュニア選手権優勝の三浦佳生(かお、16=東京・目黒日大高)は、負傷で代表辞退した羽生結弦(ANA)に代わって大舞台の切符を得た。今季はフリーで3種4本の4回転ジャンプを跳び、全日本選手権でオリンピック(五輪)代表3人に続く4位と大躍進。26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を狙う逸材が、インタビューで今の思いを語った。【取材・構成=松本航、木下淳】

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知らせは突然だった。今季ジュニアが主戦場の三浦は、補欠として名を連ねていた世界選手権への出場打診に驚きを隠せなかった。

「うれしさと『マジか』という気持ちの五分五分。その舞台に自分が立つとは、まだ想像できないです」

不安があった。1月の4大陸選手権で左太もも肉離れ。2月は氷から離れ、リハビリに取り組んだ。夜中だったが、北京五輪銀メダルで2歳上の鍵山優真(18)にメッセージを送った。

「優真に相談したら『俺らが背負うから、佳生くんは佳生くんらしく、伸び伸びと滑ってくれればいいから』と言ってもらいました。不安が大きい中で気が楽になり、決断できました」

かつて練習拠点が同じだった鍵山はライバルだった。現在、三浦の武器といえるジャンプも、鍵山と競いながら身につけていった。

「元々ジャンプは得意じゃなかったです。小学校高学年の時に大学生の先輩に『3回転5種跳べたらモテるよ』と言われて、気合が入って全部降りられました。アクセル(3回転半)は中1の夏に優真がバシバシ決めて『うわっ、すげぇ』と思って跳んだら、降りられました。4回転は僕の方が先に2種類降りた。負けたくない気持ちで『4回転だけは!』と思っていました。でも、点数は何十点も優真の方が上でした…」

スケートとの出会いは4歳だった。東京・明治神宮外苑アイススケート場で、夏の短期教室を受講した。

「母親がフィギュア好きというか…イケメン好きだったんです。(07年世界選手権金メダルの)ジュベールのファンでした。短期教室の後に先生に習い始めたら、いきなり氷のど真ん中に連れて行かれて、最初の印象は『怖い』。楽しさを感じたのは、ジャンプを跳び始めてからでした」

小学生になると、周囲の同世代と切磋琢磨(せっさたくま)して力を高めた。小3でノービスBとなり、大会の数が増えると、のちに19年ジュニアグランプリファイナル優勝を飾る佐藤駿(18)の洗礼を受けた。

「僕は2回転3種類、駿は3回転フリップを着氷させている。いきなり30点差をつけられました。異次元の滑りを見せられました」

鍵山、佐藤の背中を追い、今季はジュニアながら全日本選手権ショートプログラム(SP)5位。羽生、宇野昌磨、鍵山らと同じフリー最終組に名を連ねた。

「公式練習が始まる前は優真に『むっちゃ緊張する』と話していて、始まったらニヤニヤが止まらなかったです。羽生くんや昌磨くんがいて…。羽生くんの曲が鳴った瞬間は鳥肌が立ちました。自分の練習を忘れて見入ってしまいました」

フリーは4回転3種4本に挑んで総合4位。4大陸選手権に派遣されると、初出場で3位に食い込んだ。五輪金のチェン(米国)、宇野、鍵山らと競う世界選手権でも、出場するだけで終わらせたくないと誓う。

「チャンスをいただいたので、自分の存在、色をしっかりと出して『日本にこんな選手もいる』と見せたい。少しでも名前や、存在を覚えてもらいたい。北京五輪を見てさらに『4年後は俺も』という気持ちになった。灯がともりました」

<三浦佳生(みうら・かお)>

◆生まれ 2005年(平17)6月8日、東京都

◆競技歴 4歳でスケートを始める。17年全日本ノービス選手権優勝、20年全日本ジュニア選手権2位。21年同選手権優勝、22年4大陸選手権3位

◆コーチ 佐藤紀子、福井信子、岡島功治

◆今季のプログラム SP=冬、フリー=ポエタ

◆自己ベスト SP88・37点、フリー162・70点、合計251・07点(いずれも22年4大陸選手権、国際スケート連盟公認記録)

◆趣味 野球観戦、キャッチボール

◆好きな食べ物 肉、すし。「魚を食べると頭が良くなると聞いていたんですけれど、良くはならなかったです…」

◆好きな選手 アイスダンスのアンナ・カッペリーニ、ルカ・ラノッテ組(イタリア)

◆身長 168センチ