B1新潟アルビレックスBBのSG佐藤公威(38)の引退会見が31日、長岡市のアオーレ長岡で行われた。17年間のプロ生活を振り返った。

-引退をする今の心境は

佐藤 背中が軽くなったといいますか。無意識のうちに毎年いろいろなプレッシャーを感じていて。家族を守っていくという使命を持って現役生活を戦ってまいりました。気持ちの整理がついて引退を考えたとき、次の日から背中が軽くて。結構な重圧を背負っていたんだな、と。それから毎日がすごく楽しいです。

-引退の経緯と決めた時期は

佐藤 30歳を過ぎてから頭の片隅には、常に引退という文字がよぎるようになっていました。気持ちと体が整っていいパフォーマンスを出せるときがあると、その都度「まだやれる」とすごしてきて。ただ、今季に限っては心と体のバランスを保つことができず、勢いでは乗り越えていけないという現実を感じ、身を引かなければいけない時なのかなと。前半戦は最大限のパフォーマンスを出せていましたけど、後半戦に入り、期待された値に達していないと気付いて潔くけじめをつけました。

-キャリアの中で最も印象に残っている試合は

佐藤 ルーキーシーズンの開幕戦で左あごを3カ所骨折してしまったこと。それがあったから今までやってこられた、と思えるくらい衝撃が大きい出来事でした。それを越えるインパクトのあることは、なかなかなかったです。

-今後について

佐藤 自分のやりたいことが少しずつ明確になってきていて。未来がある選手にバスケットを教えることができたら、自分が感じてきたことを発言することによって、たくさんの人の力になれたらいいな、と。具体的にはまだ決めていませんが、みんなのモチベーションを上げられる人間になっていきたいと思います。

-引退についてチームメートとはどんな会話を

佐藤 ブースター感謝祭などで1人ずつに「引退を決めた、ありがとう」と話しました。ただ、池田(雄一)さんには最後の最後まで言えなかったです。なぜなのか自分でも理解できないですけど。高校生の時に(国体選抜の)同じチームになって、20年間やってきた仲ですけど、この決断は最後まで言えなかった。あとで伝えると、「だろうなと思ったよ」と言われましたけど(笑い)。

-バスケット以外でやってみたいことは

佐藤 選手としてパフォーマンスを出すために、なるべくケガをしないように生活してきました。子どもと遊ぶときもどこかでブレーキをかけていたり。これからは全力で遊びたいです。

-新潟のブースターはどんな存在だった

佐藤 若い時は熱狂的なファンの方と言い合いをしたくらい。心から応援してくれる温かい方もいますし、叱咤(しった)激励してくださる方々もいます。とにかく、いつも新潟を大好きでいてくれる方がほとんどです。

-チームメートに今後期待すること、伝えたいことは

佐藤 後輩たちに話したいことはありますが、昔話は好きではないようで(笑い)。全力でアルビのために戦ってもらいたいし、もっともっと新潟を大好きになってもらいたいです。会社とお互いをリスペクトし合いながら、球団を作り上げていってもらいたい。県民の皆さんには、もっともっと強くなるアルビを応援してもらいたい。僕も一緒になって応援していきたいです。

-家族の反応は

佐藤 妻には「長い間ありがとう」と言いました。ずっと僕がわがままを言い続けてきて。引退を伝えたときは「自分で決めたことだから、いいんじゃない」と言ってくれました。そして「おつかれさま」と。本当に感謝しっぱなしです。子どもたちには、「まだやめてほしくない」と泣かれました。

 

◆佐藤公威(さとう・きみたけ)1984年(昭59)4月23日生まれ。新潟県長岡市出身。旭岡中から中越高に進み、中越では国体県選抜メンバー。新潟工短大1年生のときにインカレに出場。05年のbjリーグドラフト会議で新潟の指名を受けて入団。08年にFAを行使して大分に移籍。11年にFA再取得で新潟に復帰した。Bリーグ開幕の16年には主将を務める。17年に島根に移籍し、20年に新潟に復帰。bjリーグとBリーグの個人通算は6530得点、1万9392分間、824試合出場、リバウンド1485、アシスト1151。新潟での背番号は常に23。

【関連記事】バスケットボールニュース一覧>>