東京五輪・パラリンピック組織委員会は21日、最終の第50回理事会を都庁で開き、今月末30日付の解散と大会経費を承認した。

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15年12月、トヨタの豊田章男社長が突然、組織委の副会長を辞任した。

エンブレムの白紙撤回問題を受け、トヨタ出向組を中心に「カイゼン」チームが発足。組織委の体質改善に尽力した直後の辞任劇だった。「お役所体質」に見切りを付けたとも言われている。日本のトップ企業が抜けたことで、大きなイノベーションを起こすはずだった東京大会の方向性に、影を落とした。

トップに元首相が就いたことで東京大会は「公的」な色合いが強まった。世間のイメージとは裏腹にバランサーで調整役の森喜朗前会長は、全国各地から寄せられる要望を1つずつ調整した。最たる例が47都道府県を回った聖火リレーだ。

組織委の幹部に民間人は乏しく、公的人材で固められた。事務総長は元財務事務次官の武藤敏郎氏。以下の幹部も国の高級官僚や、東京都の副知事経験者らが務めた。

その結果、57年ぶりの平和の祭典は斬新さよりも国民全員に届く「平均的な」ものになっていった。ある意味「日本らしさ」ではある。それが新型コロナウイルスによって、ズタボロにされた。

「強行開催だ」と国民の大半から批判を受けた。世論調査では一時、8割が21年夏の開催に反対。組織委は調査結果に大きく揺さぶられ、観客の有無について意思決定は遅れに遅れた。

直前まで粘ったが世論に押される形で、開幕15日前に無観客を選択せざるを得なかった。皮肉だった。広く国民参加を目指した「超公的イベント」は国民が参加できない大会となり、批判の的になった。

武藤事務総長は「コロナや延期がなければ、ありきたりな大会だったろう。あの困難を乗り越えたから歴史的な大会になった」と率直に語った。逆に言えば、平均的な大会を目指したことで「コロナ」と「延期」以外は印象の薄い大会となってしまった。

日本国民にとって東京五輪・パラリンピックは一体何だったのか-。五輪を開催したわずか1年後というのに、2030年冬季五輪を招致する札幌でも機運は高ぶらない。橋本会長は「札幌五輪の実現に向け、東京大会のレガシーを伝え続けていくことが使命だ」と話すが、600ページ超に及ぶ報告書に記された「レガシー」の大半は、国民には届いていない。【三須一紀】