アーチェリーオリンピック(五輪)2大会メダリストの山本博(60=日体大教)が、13年ぶりのナショナルチーム復帰を逃した。
6日、東京・夢の島公園アーチェリー場で行われた23年ナショナルチーム選考で19位(シード3選手のぞく)に終わり、シード選手を含む上位16人が選出されたナショナルチームに入れなかった。これにより24年パリ五輪出場の可能性が、事実上消滅した。
「信じられない」。試合を終えた山本が何度も首をかしげた。9月以降の試合の平均スコア(72射)655点を出せば余裕で突破できたはずが、スタートから崩れた。「前半で青(6、5点の的)6発。ゴルフで言えばトリプルボギー6回ですよ」。結局、後半も立て直せず、2ラウンドともに633点と最近になく低いスコアに終わった。
11位(シード3選手のぞく)で、上位24人に残った昨日のラウンドから歯車が狂い始めたという。自分の感覚と、的に刺さった矢の位置にズレが生じていたという。「昨日の午後から。次にどう打てばいいか迷いが出て、大きく打つのではなく、探りにいくシューティングになってしまった」と分析。その上で「本来の力を本番で出せない。つまり本物じゃない。まだ力不足です」と続けた。
最終日に上位16人に入れば、世界選手権で銅メダルを獲得した09年以来、13年ぶりのナショナルチーム復帰。しかも、“還暦”での快挙でもあったが、現実は甘くなかった。「世の中、そんなにうまくいかない。王貞治さんの“努力は必ず報われる。もし報われない努力があるならば、それはまだ努力と呼べない”という言葉を思い出しました。報われる真の努力を成し遂げたい」。
それでも3年ぶりにナショナルチーム選考会に進出し、若い選手たちと最終日まで競い合えたことは、自信になった。20年に右手指先のしびれの原因だった胸郭出口症候群の修復手術を受けてから成績が急降下。全日本は20年72位、21年52位と2年連続予選落ち。そこから再びトップ戦線にはい上がった。「全日本の決勝ラウンドを戦えるところまでは戻った。もう1年かけてこの選考会を余裕で突破できるように鍛えなければ」と、“さらに上へ”の意欲は強くなった。
初出場した84年ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した。その20年後の04年アテネ五輪で銀メダルを獲得した時に「次も20年後の五輪で、今度は金メダルを」と目標を口にした。その舞台だった24年パリ五輪出場は、今回のナショナルチーム入りを逃したため、事実上消滅した。しかし、すでに山本は次の目標へ向けて、競技人生の青写真を描いている。
「定年まで5年ある。この5年間は第一線で戦っている選手と練習場を共有できるので、彼らに勝てるように鍛え直して、もう1度世界に行きたい。この5年間で結果を出せば、65歳からスポンサーがついてプロになれる可能性がないともいえない。何歳まで若者とハンディなしで第一線で戦っていけるのか。追求していきたい」。山本の“加齢への抵抗”と“人間の可能性への挑戦”は、還暦を迎えてさらに光を増してきそうだ。【首藤正徳】


