女子ダブルス、混合ダブルスを制した早田ひな(22=日本生命)が女子史上4人目の3冠を達成した。

決勝で木原美悠(18=エリートアカデミー)に2ゲーム(G)先取を許しながら、4-2の逆転勝利に涙。3年ぶり2度目の優勝で山泉和子、石川佳純、伊藤美誠に続く3冠となった。初の五輪出場へ、24年パリ大会の代表選考レースでも独走態勢。世界選手権(5月、南アフリカ・ダーバン)で「最低4強」と誓い、打倒中国勢の旗振り役となる。

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あふれる涙を、早田は我慢できなかった。「天才ではないので、技術、メンタル、体のケア…。努力をしないと身に付かない」。両親やコーチの姿を思い浮かべ、過去の道のりに重ねて言葉が詰まった。「『チームひな』のみんなが支えてくれて、私はここにいる。恩返しができて良かった」。場内に響く温かい拍手に感謝し、3冠を実感した。

1度は“負け”を受け入れた決勝だった。思い切り攻める18歳の木原に、2G先取された。追われる立場は厳しい。それでも「人間、誰でも負けることはある。これで勝ったらすごい」と吹っ切れた。相手に強打させないボールを心がけ、打開策を探った。第3Gは11-5。第4Gの6-6は勝負どころだった。1本目は高いトスから、2本目は「低さ、長さが100%」と狙い通りのサーブで2連続得点。一気に11-8の五分に持ち込むと、残り2Gで決着をつけた。3時間半前の準決勝は29歳の石川佳純を4-0で圧倒。3年ぶりの優勝に「前は勢い。勢いだけじゃなく、実力で対応できた」と胸を張った。

20世紀最後の00年生まれは「黄金世代」と呼ばれてきた。同い年の伊藤美誠は16年リオデジャネイロから2大会連続、平野美宇も21年東京五輪でメダル。先に進んだ2人を追ってきた。

芯はぶれさせなかった。東京五輪代表争いの渦中だった19年。サーブレシーブの意識改革に取り組んだ。一定の範囲に返せば次の展開が読みやすくなるが、散らして仕掛けると複雑になる。石田大輔コーチは「世界ランクを上げるには、ミスを減らすのがいい。でも、それでは世界一になれない。本塁打を狙う中で安打が徐々に打てるようになれば、中国人選手は間違いなく怖い」と数年先を見ていた。今大会はダブルスを含めて17試合を消化。持ち味の強力なドライブは脅威になり、そこに数多くの引き出し、経験で培った試合間の心身の調整がかみあった。

24歳で迎えるパリ五輪まで残り1年半。目標に定めるのは代表入りではない。

「最終的にパリ五輪で勝つために(決勝では)『あなた、中国人選手に勝てないよ』と言われているようでした。ここを乗り越えられた。世界選手権で最低でもベスト4に入りたい。勝っても負けても、選考レースや五輪に生きると思う」

名実ともに日本を引っ張る女王は、強く、しなやかであり続ける。【松本航】

◆早田(はやた)ひな 2000年(平12)7月7日、福岡・北九州市生まれ。4歳で卓球を始める。福岡・希望が丘高1年時に全国高校総体優勝。伊藤美誠とダブルスを組んだ世界選手権では17年銅、19年銀、21年銀と3大会連続でメダル獲得。21年東京五輪は補欠。世界ランキングは日本勢最高の5位(24日発表)。左シェークドライブ型。167センチ。

【卓球】早田ひな史上4人目3冠!木原美悠に勝利 パリ五輪へ「どういう状況でも100%で」>>