1991年(平成3)6月16日★長野98年冬季五輪決定
16日未明大逆転決着
長野が1998年冬季五輪開催地に決まった。15日夕(日本時間16日未明)英国バーミンガムで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の投票で決定したもの。活発な招致活動を展開してきた地元は、深夜にもかかわらず喜びに包まれた。日本で五輪が開かれるのは64年東京(夏季)72年札幌(冬季)に続き3度目となる。
聖火が長野にやって来る。IOC総会の投票の結果、サマランチ会長が口にした開催地は「長野」だった。バーミンガムまで駆けつけた長野の経済界、自治体関係者から歓声が上がる。16日午前1時半から記念イベントが行われていた長野市の善光寺でも、打ち上がる花火の下、集まった約2000人の市民が長野五輪決定を喜んだ。16日午前10時からJR長野駅で開催年にちなみ1998本のワインが配られ、バーゲンセールが行われるなど五輪一色に染まる。長野県スキー連盟では「長野の選手がメダルを取れるように選手強化をしなければ」(片桐匡会長)と早くも意気込んでいる。
ジャパンマネーと、アジアでは過去1度(札幌)しか冬季五輪が開かれていないという地域性が重視された。ライバルとみられていたソルトレークシティー(米国)の場合、施設面では充実していた。だが、76年夏季大会以降12回の夏季、冬季五輪のうち6回が北米開催になってしまう。エステルスンド(スウェーデン)になると、冬季五輪は3回続けて欧州開催となってしまう。偏りすぎたとの批判があった。
さらに長野の積極的な招致活動も勝因のひとつだった。投票に先立って行われたプレゼンテーション(招致演説)では、フィギュアスケートの女王・伊藤みどりが振りそで姿で登場。自身の五輪体験を英語でスピーチして花を添えた。ほかにも今総会中にはシンクロの小谷実可子がIOC委員に長野を売り込んだり、地元紙に広告を出したりと派手な活動を繰り広げてきた。英国に送り込んだ人数も他の候補地の4倍、800人の大陣容だった。招致にかかった費用は15億6800万円。そのうち73%は市民の募金だった。
84年冬季を目指した札幌、88年夏季を狙った名古屋と招致に失敗していた日本だったが3連敗を免れた。98年長野五輪のキャッチフレーズは「自然との調和」。2月7日から22日までの16日間、6競技57種目を実施する予定だ。※表記は当時のものをそのまま再現しています。


