静かに闘志を燃やす男の進化とは-。ラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会を戦う日本代表WTB松島幸太朗(30=東京SG)が、3大会連続の大舞台で輝いている。17日のイングランド戦でボールを持って前に進んだ距離はチーム最長、両チーム2番目の92メートル。BKを支える存在は、28日のサモア戦でも勝利のキーマンと期待される。20年から2シーズン挑んだ世界最高峰のフランス1部クレルモンで主力に定着。この4年間の歩みを、栄養サポート契約を結ぶ明治の管理栄養士・村野あずささん、東京SGトレーナーの鈴木伸行さんが明かした。【取材=松本航】
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<管理栄養士 村野あずささん>
昨年3月、フランス中部クレルモンフェランで松島が言った。「こっちでずっと出る選手は絶対にタフになる。自分の体をマネジメントできるようになった」。異国で迎えた2季目の終盤にかみしめた。渡仏前の20年7月に明治と栄養サポート契約を結び、食事環境にこだわって過ごしてきた。
意識改革は18年9月に始まった。代表合宿に同行していた村野さんは、肉離れを繰り返していた松島と接した。「1食で何かが大きくは変わらないけれど、積み重ねで大きな違いになるよ」。朝食が苦手で、エネルギー摂取量もタンパク質量も不足。乳製品や果物をあまりとらない姿が気になった。信頼関係が構築されると、フランス挑戦前に体重5キロ増の相談を受けた。
フィジカルを押し出し、日本の倍近い10カ月もの期間に及ぶフランスリーグ。プロテインを1日4~5回摂取に増やし、栄養バランスを考慮しながら夕食は2000キロカロリー近いメニューも食した。開幕までは毎日が2部練習とウエートトレーニング。苦手な朝はプロテイン、バナナ、冷凍ベリー、牛乳を混ぜた特製スムージーでたんぱく質量を確保。妥協せずに戦う体を作り上げた。
試練は1季目の後半に差しかかった、21年春に訪れた。夫人が出産のために帰国。練習と両立した自炊はメニューが限られた。救いの手は街にある日本食店の「わが家」。松島の要望と村野さんの栄養情報を踏まえ、日本人シェフが週2~3日分の食事を提供してくれた。21年冬から家族と現地での同居を再開。夫人の手料理の支えもあり、松島は「成長を感じられた」と異国での挑戦を完走した。
村野さんはボクシングの井上尚弥、スピードスケートの高木美帆など、世界的アスリートに多く接してきた。一流のすごみは松島にも共通し、「目先だけでなく、将来への明確なビジョンがある。4年間、強い芯を持って準備した強さがあります」と太鼓判を押す。妥協のない積み重ねが大舞台での飛躍を支えている。
<東京SGトレーナー 鈴木伸行さん>
日本復帰の発表から1年がたった。府中市の東京SG練習場。5月に閉幕したリーグワン中、全体練習を終えた松島は25歳のWTB仁熊秀斗らを誘ってタックルに励んだ。シャイで口数は多くない。それでもトレーナー室でケアを受けながら「きついことをしないとダメ」とつぶやく。同じ13年入団の鈴木さんは「フランスで二皮ぐらいむけて帰ってきた」とかみしめた。
フランスでの初陣から1カ月後の20年10月、松島から「治療にきてほしい」と要望されて渡仏した。慣れない環境へ順応を目指す体に、はりで刺激を入れた。体重増量で大きくなった背中や尻を見て、努力を感じた。筋肉の硬さや動きを調節しながらの下地作り。約2週間クレルモンの練習場近くに宿泊し、一緒に車に乗るとドライブスルー形式のPCR検査を受ける姿も見た。「普段のマツからは見えにくいけど、自分を高めるために挑戦する決意がすごい」。心から思った。
2年後、松島は体を絞った状態で日本に戻ってきた。次のプレー環境を考え、自ら中期的に準備する意識がある。その上で特徴は変わらない。多くの選手を見てきた鈴木さんだが「マツの瞬間的な筋の出力、強さは他の人と違う。GPSでは表現できない。0から100に上がる振り幅が、山なりじゃなく、いきなり上げられる」とうなずいた。
フランスで過ごした2季。キックの距離が自陣22メートルから、相手陣22メートルラインまで60メートル以上に伸びた実感がある。松島は「試合を積み重ねて、疲れた中でも力まずに当てるスキルが身に付いた」と手応えを明かす。天性のセンスで魅了してきた男は、この4年で心身のタフさも身に付けている。
◆W杯フランス大会の松島 2戦連続フル出場。42-12で勝利した10日の初戦チリ戦にWTBで先発。自陣から相手陣22メートルラインの先のタッチラインに出す「50:22」のロングキックで、全体を前に押し出した。12-34で敗れた17日イングランド戦もWTBで先発し、自陣から約40メートル独走で好機を演出。「1次リーグ通過へ負けていい試合は1つもない。目の前の相手に集中したい」と誓っている。
◆松島幸太朗(まつしま・こうたろう)1993年(平5)2月26日、南アフリカ生まれ。神奈川・桐蔭学園で全国高校大会優勝。スーパーラグビーのシャークスを経て、13年サントリー入り。途中でワラターズ、レベルズ、サンウルブズにも在籍。20年にクレルモン移籍。代表53キャップ。父がジンバブエ人。178センチ、88キロ。