朝から宜野座のグラウンドで選手たちをぼ~っと眺めていると、なんだか虎番記者たちの動きが慌ただしい。酒井キャップ以下、佐井、古財、真柴と動き回る。なに? と思っていると新加入ロサリオの「右肩負傷疑惑」でした。

 虎番記者は集中して選手を見守っています。誰が守備位置にいない。キャッチボールをしていなかった。ぼんやり見ていると気付かないそんなことを発見する。我田引水ながら、読者の方々に新鮮な情報を届けるため、それなりに頑張っておるのです。

 それはともかく、ロサリオに関しては心配ないレベルのようで、ひと安心。開幕前に何よりもこわいのは故障です。ましてや4番を任せることが間違いない男の負傷となれば、いやなムードが漂うのは間違いない。

 ここで、また星野仙一率いる阪神で優勝した03年のことを思い出します。春季キャンプから星野監督は4番打者を浜中治(当時はおさむ)に任せると決めていました。

 宜野座、安芸、オープン戦を過ごし、ついに開幕。約1カ月で11発を放つなど好発進の浜中でしたが、6月に走塁のアクシデントで右肩を痛めてしまいます。さらに離脱せずに試合に出た結果、シーズンを棒に振る最悪の結果になってしまった。いまでも選手が肩を痛めたと聞くと、あのときのことを思い出します。

 現在、2軍打撃コーチの浜中氏は宜野座にはいませんが、この日、懐かしい顔に会いました。03年当時のトレーナーだった前田健さんです。社会人野球のチームでトレーナー職を務めていたところ、星野さんにスカウトされ、プロ野球の世界に入ってきた専門家。トレーニングの研究などで宜野座を訪れています。

 「お前の思うようにやれ。そうでなければ意味がない。責任はオレが取るんだから」。星野さんにそう言われたという話をこの日、教えてもらいました。誰にでも思い出のある男・星野です。

 そんな前田さんにとっても浜中の負傷離脱は痛恨事だったようです。「あのときは、いろいろな意見があったんですが…」。いまでも多くを語りませんが結果として、無理をしてでも試合に出たいという選手の意思を尊重したということなのでしょう。浜中コーチ自身にも「自分が無理をしてしまった」という話を聞いたことがあります。

 昨年、金本阪神の宜野座キャンプで大きな故障者は出ませんでした。それが2年目での2位躍進につながった1つの理由だと個人的に考えています。鍛えて、しかし、無理はしない。見極めが重要なのは、いまも昔も同じです。【編集委員・高原寿夫】