<アナタと選んだ史上最高物語(3)逆転編>

 ◆史上最高の逆転劇ベスト10

 <1>横浜7-6明徳義塾(98年)<2>PL学園5-4中京(78年)<3>佐賀北5-4広陵(07年)<4>智弁和歌山13-12帝京(06年)<5>駒大苫小牧10-9青森山田(06年)<6>徳島商8-7久慈商(93年)<7>箕島4-3星稜(79年)<8>横浜9-7PL学園(98年)<9>報徳学園7-6倉敷工(61年)<10>報徳学園4-3大宮(67年)【横浜もすごいが、やはり報徳】

 甲子園で逆転劇を見ると、なぜか涙腺が緩くなる。天国から真っ逆さまに転がり落ちるがごとき逆転された側の気持ちに寄り添ってしまうからだろうか。

 1998年準決勝の横浜-明徳義塾が圧倒的な票を集めた。「前日のPL学園戦の影響で、球場全体が横浜の大逆転を後押しした感じだった」「当時の明徳は、まだ松井の5打席連続敬遠のイメージが残っていて、横浜を応援した人が多かった」。この試合を乗り切り、エース松坂大輔は次の決勝ではノーヒット・ノーランを達成した。

 78年のPL学園が続く。準決勝の中京、決勝の高知と立て続けに逆転劇を演じた。西田-木戸のバッテリーを中心にした粘り強さに舌を巻いた。「奇跡のPLと言われるようになった原点の2試合」。この夏のPL学園は実際に何度も取材した。規律正しいチームであったが、木戸や西田のバイタリティーは高校球児の枠を超えていた。苦境に陥った時、それが大きな力を生んだのだろう。

 07年の決勝、佐賀北と広陵が3位。「あんな場面でまさか満塁本塁打が出るとは誰も予想できなかった」。絶体絶命からはい上がったのが、無名の公立高校だったから、なお印象が強まった。

 しかし、逆転といえばやっぱり報徳学園ではないか。1961年夏1回戦、初出場の報徳は倉敷工と対戦。息詰まる接戦は0-0で延長にもつれ込む。11回先攻の倉敷工はついに攻撃の牙をむく。一挙6点をもぎ取って、試合を決めたかに見えた。ところが、そこから報徳の反撃が始まった。

 その裏、6点を取り返して同点に追いついた。金属バットでヒットや本塁打を力で量産できる時代ではない。木のバットでコツコツとヒットを重ねたのだ。そして次の12回、1点を奪ってサヨナラ勝ち。過去に例のない大逆転劇であった。初めての甲子園で、いきなり「逆転の報徳」のイメージは築き上げられた。

 実は下手くそな球児だった私の最後の夏は、甲子園の報徳戦だった。といっても当時は兵庫大会が甲子園でよく行われていて、その4回戦。あの逆転劇から6年後のことだ。その春、報徳はセンバツ4強に入っている。0-0の6回に、わが校は1点を拾った。その途端、報徳ナインの目つきが変わったように思った。私は悪い予感を抱いて守りについた。

 そこまで無安打の報徳打線が突然鋭い振りになって、ヒットを重ねる。意欲的に走る。アッサリと逆転されてしまった。まるで予定調和のごとく、報徳学園は逆転し、勝ち残っていったのだった。ほとんど記憶になかったのだが、この時の報徳は本大会でも1回戦の大宮戦で吉田和幸のサヨナラ本盗の離れ業で奇跡的な逆転勝ち(4-3)を収めている。

 逆転劇はいつも紙一重。しかし、する側とされる側にはどこか決定的な相違が隠されているような気がする。される側にしか立ち得なかった私は、40年以上の歳月が流れてもその謎がサッパリ解けず、勝負の無情にただただ涙ぐむ。(つづく=敬称略)【編集委員=井関

 真】

 ※この記事は「日刊スポーツ」大阪本社版の好評連載「伝説」を転載したものです。