ブルージェイズとフィリーズで活躍したロイ・ハラデー元投手が現地7日、自身が操縦していた小型機の事故により40歳の若さで亡くなった。フロリダ州沖の浅瀬で本人が所有し、1人で操縦していた水陸両用小型機ICON A5が転覆した状態で見つかり、死亡が確認されたものだ。

 ハラデー氏は98年にブルージェイズでメジャーデビューを果たした後、最初は伸び悩んだものの、次第に成績を上げ、2003年には22勝を挙げて初のサイ・ヤング賞を受賞した。その後も勝ち星を積み重ね、2010年にフィリーズにトレード移籍すると21勝10敗、防御率2.44の好成績で2度目のサイ・ヤング賞に輝いている。13年に36歳で引退し、通算成績は203勝105敗、防御率3.38だった。また10年には完全試合と、プレーオフ地区シリーズでノーヒッターを記録している。完全試合は20人目、ポストシーズンでのノーヒッターは史上2人目の快挙だった。

 小型機の所有、操縦はハラデー氏にとって長年の夢だったという。実はハラデー氏の父は航空会社のパイロットであり、飛行機とその操縦を身近に感じる環境で育ったのだ。そのため飛行機の操縦免許の取得を早くから希望していたものの、現役中は禁じられていたということである。

 そして引退後に念願かなって免許を取得、さらにA5を購入したのはこの1カ月未満だったということだ。まだ20回も飛行経験がないなかでの事故となってしまった。A5は空のスポーツカーと呼ばれるほど軽快な飛行性能を持ち、ハラデー氏自身も「戦闘機のように飛ぶ」という言葉を残している。ただそれだけにハラデー氏のような初心者には難しいと指摘する専門家もいた。

 またA5について語るハラデー氏とブランディ夫人が出演するビデオが制作、公開されている。その中でブランディ夫人は最終的にA5での飛行が快適だと述べているものの、「ロイと同じようには育たなかった。飛行機や小型機で彼が快適と感じるようには育たなかった」と語り、最初は小型機の操縦にちゅうちょしていたことを語っている。それに対しハラデー氏は「彼女は自分と全面的に戦った。大変だった。激しく戦ったよ」と反対されていたことも明かしていた。事故の原因はまだ不明だが、なんともやるせない気持ちになってしまった。

 気さくで思いやりのある人柄で慕われていた人物だけに、SNSではフィリーズでチームメートだったライアン・ハワード一塁手による「なんて哀しい日だ。偉大な選手で素晴らしい人物を失った。夫人と2人の息子達に祈ろう。ロイ、君を失って寂しい」というツイートのように数多くの追悼メッセージが投稿されている。